2015年12月31日木曜日

いろいろ補充

 ここのところガス欠気味だったこともあり今回の冬コミはいい燃料補給の場になったかな。創作少女と創作文芸とオリジナル雑貨を回ってきた。もともと持ち弾が少ないのだけれど、下調べはあまりせずその場の直感を信じて諸々入手。こういう勘は鈍らせちゃいけないからね。なので壁は対象ではなくもっぱら島めぐりをした。少しずつ消化してゆこう。

2015年12月13日日曜日

アッパーからの発作

 今日は日中、外出する用があってめずらしく肉体的アクティブに活動したのだけれど、その反動がひどかった。行動がテンションを上げてしまったのか、ツイッターでもりもり活動してアクティブなアカウントをどんどんフォローするという性急すぎる暴挙。少しずつを心がけていたというのに。そして承認欲求を満たさんとフォロー祭り開催のあとは視線不安からの不安発作に心臓持って行かれた。この発作がまた酷かった。発作自体かなり久しぶりで耐性落ちてたのもあるかもしれないけれど、いや、耐性つくようなたぐいのシロモノじゃないな、とにかくその酷い発作にほんのりしか効かない頓服でなんとか、なんとか、なんとか対処した。けれど正直、効き目ほんのりなゾロ薬じゃなくて元の薬がほしい。

2015年11月27日金曜日

YesとNo

 もっと意味の範囲を大きく、肯定と否定、とした方がいいかもしれない。物事を肯定したり否定したりするとそれぞれベクトル(方向とちから)を生じる。このちからがどう作用するかは概ね肯定/否定した内容によってくるのだろうけれど、全体の傾向としては、なにがどうやってもどうしても行き詰まったらYesを選ぶのが吉らしいという感覚を得るに至った。過ぎたことだから告白するが、割と最近(今年の初夏の話だ)自死を試みた経験がある。手ぬぐいを輪にしてドアノブで吊ろうとしたのだ。幸いというか運悪くというか、無意識にばたつかせた手足のおかげでノブから手ぬぐいが外れ落ち、死に損ねた。振り返るに、この時の一連の行動は一貫してNoが頭の中を覆い尽くし、他の何物も入り込む余地のない状態だった。自死とは自分自身の全否定というのがその時身体で覚えたことだ。この自死に限らず、暴力や差別も否定のちからを伴う行為だ。対象の存在を否定する行為でありちからだ。こういったちからに何か生産性があるか、と問われれば否だ。対象を潰すことで得られるものがあるとすれば、信条、宗教的心理による外的意味付けがなされたものであって行為そのものが尊いわけでは決してない。
 話が逸脱した。言わんとする所は、先行き詰まってどうにも身動き取れなくなった時に判断をくださないといけないとなれば、そこは肯定のちからに頼るのがいいというのが身を持って感じたとこだ。多分これはこれからの人生、いろいろ詰まることも多いだろうけれど、その場その場での選択に大きく影響する事柄だと思う。詰まった時には深く考えることすら不可能な時が多々あるだろう。もっと単純に「行き詰まったらYes」と心しておけば、最低でも生きていけるように思う。

2015年11月2日月曜日

記憶障害のこと

 ここのところしばらく引っ込んでいた乖離性記憶障害がまたぞろ頭をもたげてきた。スマホのメモ帳が記憶に無いメモで埋まっているとちょっと自分でも引いてしまう。まだ軽度の記憶障害ということもあって、担当医も気に病みすぎるほうが良くないと言っていたが、それでもやはりなんとも日常生活に不安を感じてしまうよな。実際、軽度であれ乖離が起きていることから、意識していなくてもそれなりのストレスを感じているのだろうし。こうなってくるとその日を終えるのに手一杯で、マインドマップやらキャラクターシートやら埋めていくのが二の次三の次になってしまう。はてさて、まいったな……

2015年10月29日木曜日

消化

 なかなか活字スリップ状態から復調せず、紙の本も電書も積ん読がたまる一方で消化できずにいる。漫画のセリフですらスリップするんだよね。たまる一方なのは今に始まったことではないけれど、少しでも消化できないというのは結構心情的にしんどい。自分のタイプしてる文面ですらスリップしてしまうのはプロット作成にも障害を及ぼしてしまい、ほんとうに厄介極まりない。そんなこんなでスマホのメモ帳にキーワードになりそうな単語だけがただただ無秩序に溜まってゆくといった按配でこれも整理しなければいけないのだけれどなかなか進まない。
 ところでこの活字スリップっていうのは精神的なものから来るのだろうか。それとも身体的な症状なのだろうか。いままでは精神的に不安定だから、と勝手に思っていたのだけれど、そうともばかり言えないように最近感じるようになった。要は集中力の欠如に集約されてしまうのだろうけれど、それって視覚情報の処理落ちが発生してるということでもあるわけだ。とすると常服している薬の副作用も考えられる。薬は手放す訳にはいかないからどうにかこの状態で集中力を高めて消化・創作に行動値のリソースをより多く回していきたいけれど、いったいどうしたらいいのか具体的に案が浮かばないでいる。無理を押す、しかないのかなあ?

2015年10月26日月曜日

ハードルを下げる

 自分にできることは(心身ともに)それほど多くないということを踏まえると、やはり何か行動を起こす時の目標となるハードルを下げるのが効果があるのではないかと思う。でもどうせ下げるのなら徹底的に下げてしまおう。
 今日できたこと
・ネット配信アニメを2話消化した。外的刺激に鈍麻な反応しかできない現状では、能動的な行動に移すことが出来ない中、これは結構頑張ったほうだと思う。良いか悪いかで言えばそこそこ良い方ではなかろうか。
・故障したプリメインアンプを保証期間中ということで無償修理に出す取り付けと修理センターに送るための梱包をした。先に述べた通り、能動的行動がなかなか難しいので、ただそこに流れる音楽というのはぼくにとってとてもかけがえの無い受動的刺激なので、オーディオ無しの生活はかなりつらい。修理期間が10~14営業日というのは2週間から3週間ということか…… ながいな。かなりながい。修理が早く終わることを切に願う。

 マインドマップは相変わらず広げども埋まらずと言った按配で進展がない。大きくメスをいれるときなのかもしれない。ちょっと考えておこう。

2015年10月25日日曜日

意識して休むということ

 意図的に1周間ばかり更新を休んでみた。立ち止まることで見えてくるものもある。今までの自分は気負いすぎていた。気を張り過ぎていた。ガソリンもないのにアクセルをベタ踏みして「進まない!」と嘆いていた。このリハビリブログもそう。「毎日更新しなきゃ!」っていう焦りだけが先行して「考えること」に行動リソースが回っていなかった。ゲームでよくある行動値ってよくできてるなあ、と最近とみに思う。上限が決まっていて使い果たすとその日の行動は全て終了。実生活でも同じようなもので、行動量が現在のキャパを超えるとそこでストップ。動けなくなる。実際に動けなくなる経験をしたことのない人のほうが多いかもしれないけれど、これは本当だよ。まあある程度オーバーリミットで行動できてしまうひとも少なからずいるのだろうけれど、これは確実に身体を壊す。無理を押す必要性にかられる時もあることを否定はしないが、基本、無理というのは恒常的にするものではない。
 御託が長すぎた。そんなわけで、これからは「何かしら毎日更新」ではなくて、「書きたいことがあったら書く。無理はしない」にシフトします。といってもおそらく愚痴っぽい何かになるんだろうけれどね苦笑。たもれこうまれ今後とも宜しくお願いします。

2015年10月18日日曜日

何か

 何かが決定的に足りない。何かが決定的に違う。それは何だ? 違和感とかそういうふうなものを感じてはいるのだけれど、それが何であるかがわからない。ぼくには基本的な何かが足りていない。ぼくのしていることは基本的に何かが方向を違えている。そこまではわかるのだけれど、知りたいのはその先だ。一生懸命に足掻いているつもりだけれど、足掻き方を間違っていちゃあどうにもならん。足りないのは何だ? 基本的な生活基盤か? たしかにそれは実際に足りていないけれど、足りていないからこその飢餓欲求というものもあるだろう。「見る前に跳べ」というが足元が固まっていてこその跳躍だということなのか? ひたすらに自問し続けているけれど一向に答の影すら見えてこない。本質的に答の出ない問なのだろうか。

2015年10月17日土曜日

2015年10月16日金曜日

生きるってたいへんだ

 たいへんだよね。(´・ω・`)

2015年10月15日木曜日

基本というか

 必須事項という意味も込めて。毎日何かしらひとことふたことをネタにリハビリと称して文章を綴ることをしているのだけれど、これはギターで言えばスケール練習みたいに楽曲云々の前に最低限できなくては話にならないことだと思っている。それを踏まえるとリハビリというタグの呼称は少し的を外しているような気もする。スケール練習はリハビリの手段ではあるだろうけれど目的にはならない。同様にこの駄文綴りも文章を練る前の基礎練習であって文章を練ること自体の練習とはいえない。やはり曲を弾く練習をするのはスケール練習をするのとは違うように、文章を練る練習は文章を実際に練って練習するしかない。そういう意味で今更ではあるけれどリハビリタグというのはちょっと違うよな、と思ったりする。本当に文章の練習をしているのなら、今あるタグでは、掌編カテゴリがもっと数を増やしていかなければいけないはずなんだ。あらためて自分のしていることの矮小さに消え入りたくなってくる。それでも「しないよりはマシ」ということでこうやって恥を晒している。スケール練習は出来て当たり前していて当たり前なことであって、それがある前提で「さあ楽曲練習をしよう」となるのだ。そのスケール練習をドヤ顔で「リハビリしています」というのはかなり恥ずかしいが、他によいタグ名が浮かばないので小さくなってこっそりとこうやってwebの端っこで今日も駄文を綴っている。

2015年10月14日水曜日

方向と大きさ

 心持ちのベクトルというか。「一念岩をも通す」とか「精神一到何事か成らざらん」とかそういうたぐいの言葉の根底にあることで、言わんとすることはそういうことだよな、と。いくら大きさが優れていても方向が定まっていないと結局和とした時にその大きさが活きてこない。時間軸を加味するとまたこれは違ってくるだろうけれど。というか時間軸を加味したうえでの故事成語なのか。とすればベクトルの絶対値が小さくても方向さえ定まっていればそれは時間をかけさえすれば和として大きな力になるということか。では自分の心のありようは一体どうであろう。それは「一念」であるか?「精神一到」であるか?問うてもなかなか自信を持って是と言えないところにぼくの弱さがあるように思う。その弱さを補う「継続は力」であってほしいというのは力ない故の傲慢さか。なんにせよ文章を綴るちからというものを得るためにはとにかく書き続けるしかない。といって無闇矢鱈に書けばいいものでもないだろうからその辺りはtips集なんかでうまくフォローするのが最善なのだろう。
 未だうまく言葉のフラグメントが衝突してくれない。それこそ時間をかけてじっくり相手にしなければならないことなのだろう。焦らず、継続あるのみ、だ。

2015年10月13日火曜日

覚醒と混濁

 今朝というか昨夜遅くからなかなか入眠できず、仕方なしにコーヒーで目覚まししたのだけど、その際、意識が覚醒していながら思考が混濁するといった状態に。これが日中しばらく続いた。意識ははっきりしているけれど、何をするのか行動に繋がる意思を含め能動性のアウトプット全般がぐしゃぐしゃとミキサーで砕いてしまったように形をなさなかった。つまるところ「目は覚めているけれどなにもできない」という表向きいつもの今日だったのだけど中身の方は非常に気持ち悪いアンバランスさに晒されていた。これも一生懸命言葉にしようとしてこう表すに至ったのであって、コーヒーを飲むと最近は割りと頻繁になる症状だったりする。症状という言葉は大袈裟か。といってカフェインは半ば依存状態にあるのでここで積極的に断つ方向に舵切りするかというとそうはいかないだろう。思考が混濁しようとぼくにとっては精神的に落ち着くという安定剤のようなものでもあるから。

 うん、回りくどくてねちっこい文章が綴れた。これは、リハビリとして悪くないんじゃないかな。とにかく継続あるのみだ。

2015年10月12日月曜日

 無思考の渦に飲み込まれている。思考の母体となる幹の部分に言葉が埋まってゆかない。木のうろのようにぽっかりと空いたまま何もそこにはなく、本来ぶつかり合い反応を起こす言葉のフラグメントが雲散霧消している状態。やっぱりまた鬱期がきたのかなあ……。大きいのは先月に抜けたと思ったんだけどまだぞろ別なところから(別か同じかわからないけれど)波が来たのかなあ……。こんなことなら先日の通院日に抗鬱薬を処方してもらえばよかったかもしれない。もう憶測でしか物事を言えない状態。プロットに取り掛かれるのは抗うつ薬の処方がされてからになるんだろうか。クスリ頼みっていうところがなんとも厭な感じだけれど、それで無思考の渦から逃れられるのなら頼ってもいいんではなかろうか。いいことにしてくれ。それまでどうやってリハビリのネタをひねり出そう……。どうしたものかなあ。

2015年10月11日日曜日

ことばが

 出ない。頭の中にすらなにも浮かんでこない感じだ。自発的な意思を持てないというか。かろうじてこうやって「何も無い現状」をタイプ出来ているが、それもやはりかろうじてであって、日々の惰性がなかったら日課にしたこのリハビリも投げ出してしまいたいところだ。投げ出したところで困るのは自分だけだから、という悪魔の声が聞こえる。活字スリップも相変わらずひどい。自分で打ち込んだ文字ですら追うのがやっとの状態だ。いっときは活字密度の薄いラノベが読める程度までには復調していたのだけれどな。相変わらずといえば頭に響く怒声も続いている。これは途切れるほうが稀ではあるのだけれど、それでも慣れるとかそういう範疇のシロモノではとてもない。檻の向こうから罵詈雑言を常に投げつけられ続けながら正気を保つのも難儀なことだ。正気でいることの証明など誰も出来ないのだけれど。というか、正気であることが出来ない故に病んだのか。病んだから正気を失ったのか。考えても詮無いことではあるけれど。

2015年10月10日土曜日

怒声、罵声

 目の奥の方の重石が音を伴うようになって、それがだんだんといつもの聞こえないけど聞こえる怒声、罵声に変わってきた。こうなると聞こえていないけれどうるさい声にげんなりしてしまう。声の輪郭がはっきりしないところも嫌らしい。悪意のある言葉を自分に向けて浴びせられていると感じるのだけれど、その悪意の本位が何処にあるのかわからない。幻聴に本位などあるはずがないから当然のことだろうけれど、芯の掴めない悪意のようなものってとても気持ち悪い。芯が掴めたからって悪意が気分のいいものであるはずもないだろうけれど、それでもなにも掴ませないところにねちっこいいやらしさのようなものを感ずる。この怒声はほんとうになにをするにも邪魔ばかりしてなにも手につかなくなるから嫌だ。目が文字を追うたびにスリップしてしまったり言葉の意味が頭の中でこなれなくなったり。およそ生産性とは真逆の方向にベクトルを持つ声だ。次の通院日に抗鬱薬を再び処方してもらう際に、今のリスペリドンを減薬することになったのだけど大丈夫だろうか。現状、あまりリスペリドンが効いているとも実感できないのは確かなのだけれど。

2015年10月9日金曜日

「サーバーから

 オプションを読み込めませんでした」と今回はちゃんとエラー内容を吐いたけどだからどうなんだっていうBloggerの不安定問題。サーバー側の問題なの?まあいいや。
 原稿進んでいません。原稿っていうかプレプレプレプロットくらいのところにも達してない。頭が鈍く痛む。リハビリなんて言いながら不平不満と愚痴ばかりだな。どうにもダメだ。でもだらだらでもいいから、続けてある程度の長い文章を綴るという練習にはなっていると思いたい。いや、だらだらとすら書けていないな。乾いた雑巾を無理矢理絞っているような感じだ。目の奥の方にずしりと重いものを感じる。眼の奥、頭の中、だけでなく心のなかにも重石を抱えているかのようだ。こんなネガティブな言葉ばかり綴られていては読む方もげんなりして去ってゆくよな。といってやめるわけにもいかず、どうにか改める方向に舵を切ろうと心がけるくらいしか出来ない。厭な文章でお目汚しご勘弁ください。

2015年10月8日木曜日

やはりよろしくない

 今日は通院日で担当医にアッパーの頓服の件を相談したのだけど、そういうシロモノはないそうだ。代わりに抗鬱剤を処方されることになった。たしかに頓服はほんのりと効くような気がする程度の抗不安剤しかないからなあ。処方は薬の在庫が切れる次回通院日からとなった。どうなることやら。
 処方の具合がこんな調子だからかわからんが、頭の中のフラグメントも全然反応してくれない。ただ呆けて時間をつぶすばかりでなんの生産性もない。焦りばかりが生まれる。焦ったところで何ができるというわけでもないのに。できることといえば身体を休ませることくらいなのだけれど、睡眠障害でまともな睡眠はあまり期待できないし。ほんとうにポンコツだな、ぼくの身体は。ポンコツついでに一口くちをつけただけのミネストローネが胃に重い。ダメなことだけは次から次へと出てくる。
 ダメなことといえばBloggerの投稿入力画面にいっぱつで遷移できない症状がずっと続いている。リロードすれば移れるんだけどクッキーとかの問題なんだろうか。もう4年ほどひとこと日記をつけてるfc2だと画面移動が重たいことはあるけれどリロードが必要なことは今のところないなあ。これもひどいようだったら対策を検索してみよう。今はそこまで必死になる気力もわかない。

2015年10月7日水曜日

よろしくない

 大きな鬱期が去って、群雛への投稿レギュレーションもクリア(当ブログで推定累計3万字突破)して、あとは原稿を書き進めるだけだというのに、頭の中が空っぽだ。昨日書いた軽い方向へのスリップ状態が続いている。なにもできず呆けている、というのがわかりやすい表現か。好きでボケてるわけではないのは勿論のことだが。なんというか、心のなかを空白で塗りつぶされているような感覚とでもいうか、うーん、なんともこういう感覚疾患の表現は伝えるのが難しい。こういうときには沈んだ気持ちをなだめるダウナーの頓服でなく、沈んだ気分を持ち上げるアッパーの頓服が欲しくなる。明日は通院日なので担当医に相談してみよう。というか、あるのかな……、アッパーの頓服なんて。
 原稿の話。掌編の素になる可能性のある言葉の断片集はあるにはあるのだけれど、断片化しすぎてしまっていることと、先の脳の軽い方向へのスリップでフラグメント同士のつながりが全く生じない。文章の始まりはぼくの中では言の葉どうしがぶつかり合った時に生まれてくるという感覚なので(こんな駄文ブログの文章でもそうである)、そこの反応をどうにか起こす起爆剤みたいなものが必要なのかもしれない。しかし外部からの反応を欲求として欲しない精神状態なので、やはりここはアッパーの頓服に縋るしかないのか。クスリだのみというのは非常に厭なのだけれど。

2015年10月6日火曜日

あいこん

 原稿頑張ると言っていた昨日の今日であたまが軽い方へスリップして何も考えられない状態に。重い方へのスリップは深刻さが出て気を遣ってもらえたりするけれど、軽い方へのスリップは軽薄にとられてしまい、問題が解決しないという現実は一緒であるのに侮蔑の目にさらされる不公平さ。そういうやじろべえみたいな右へ左へを繰り返す疾病なんだと言っても理解しないひとは理解しないので捨て置くしか無い。身内にいるけど。
 たもれそんな状態だったので午前中はドヤ顔猫アイコンを手描きのアイコンに差し替えて気分転換。アイコンひとつ描くのだけで精一杯だった。午後は頭を抱えて寝込んでいた。溜めた映画でも観れば、っていうのは禁句。それができれば本だって読めているし、積ん読タワーなんてなにもないことになる。溜めアニメもまっさらに消化してしまっているだろう。「ハイだろうがローだろうが何も出来ない状態」っていうことがどういうことか、理解するには身を持って知るしかないのだろうな。苦しいぞ。頭の中の誰かに殺されそうになる。
 まあ言い訳めいたことを喚き散らしたところで生産性のかけらもないので、次の通院日にダウナーでなくてアッパーの頓服がほしいと伝えることにしよう。出してもらえるかな……。

2015年10月5日月曜日

GunSu

 このブログで、書けない、書けない、読めない、書けない、と繰り返していたのはセルフパブリッシュ用原稿のこと。将来的に一冊の本としての体をなすだけのバックボーンづくりに、ああでもないこうでもないとない知恵を絞り頭をかきむしっていた。いる。今っもまさにその只中だ。しかしそんな中、さらに並行してインディーズマガジンの群雛に投稿するための原稿も書き始めようと思う。手を広げすぎれば失敗するのかといえば、それはたぶんちょっと違うんじゃないかと考えている。一つのことに集中するのもスタイルとして大事なことかも知れなけれど、詰まった時に逃げ場がない。幸い、締め切りのないインディーズ作家(群雛には締め切りがちゃんとあるけれど)、手が動かなくなったら別のことに手を出して切っ先を切り替えるのも手なのではないかと思っている。手元にはFreeMindに落とすまでもなかった言葉の切れ端がプレーンテキストとして幾許か生き残っている。これを利用して掌編枠……、できれば標準枠で参加したい。ともあれ投稿するには元の原稿だ。少しマインドマップの方の手綱を緩めて、ここからさきしばらく、群雛用原稿を第一に持ってこようと思う。鬱は相変わらず心に重い影を落として、あまりうまく身動きが取れなけれども、がんばる。うん、がんばる。

2015年10月4日日曜日

違和感

 「ナニカチガウ」「コウイウノジャナイ」「ベツナコタエガアル」書いては消し、書いては消し、書いては消し……。みんなどこで折り合いをつけているのだろう。ただの書き出しの一文でさえまともに書けやしない。駈け出してもいないひよっこですらないやつに完璧さなんて求められていないのはわかっているけれど、それでもより良いものを目指すのは悪いことなのだろうか? 完成させることが経験値、と散々言われ続けているけれど、散々目にしているけれど、もう一本、もう一本の迷い線を引くことをやめられずにいる。たぶん、ぼくに足りないのは「こんな文章が書けるなんておれってSUGEEEEEE!!!!」のハイテンションではなかろうか。言い換えれば、「自分に酔うこと」 そういえば誰かが言ってたっけ。「素面で詩なんか書けるかよ!」 基本の状態が自分のことが嫌いな鬱なぼくにほんとうに物書きができるのだろうか。ハナから自信なんてものとは縁遠かったけれど、最近になって、物書きのHow Toを読むようになって、ますます自信とは距離が広がっていくように感じてしまう。大きな鬱期は抜けたと少し前に書いたけれど、やはり基本メンタルが鬱傾向なんだよな。こんなぼくで本当に大丈夫なのだろうか。

2015年10月3日土曜日

号泣 五十三次

 心のなかで号泣しながら吹き飛んだ累計2万字あまりのプロットの復旧作業に追われている。にーにーとさんさんひゅーまん。記憶しきれないから書き留めておくわけで、その書き留めが吹き飛んだらそりゃ暴力フォーエヴァーてもんだ。アプリケーションとして最低の要素を満たしていない。メモ帳にメモが消えるバグがあったらそれはメモ帳とは呼べないだろう。心が粉々に砕け散りそうなのをなんとか「まあ駄作だったし!」の自虐の呪文でつなぎとめているという現状。でも正直なところ本当に泣きたい。書いては消しの激遅筆だからこそ、ここまで書き溜めるのにどれだけ掛かったか。
 まあこぼれたミルクを嘆いてもしかたがないので、またはじめからぽちぽちとひとつひとつ打ち込んでいくしかない。嗚呼。

2015年10月2日金曜日

あははははははは

 マインドマップにちまちま書きためてきたプロット累計約2万字が飛んだよ!!FxxkOff FreeMind!!直感的に使いやすくても不可逆な文字化けおこすんじゃダメだダメだダメだ!!仕方なくFrieveEditorに移行措置。XMindもFreeMindの.mmファイルがインポートできるというので試してみたが「ファイルが開けません」だと。Fxxk!!というかインポート以前にコメント欄をマップと同時に開けない時点でアウト。FrieveEditorはマップがぐにゃぐにゃ動いて気持ち悪いけれど慣れればなんとか使えそうな気がするので。マップ画面とコメント欄を同時に表示できるし。これ重要。マップにキャラクターシートやら世界観概要やら書き込むからいちいち切り替えるやつだと手間がかかりすぎてしまうんだよね。そんなわけでこれから暫くの間はマップの書き直しに費やされることになる。考えただけでぐったりだ。
 それと、マップ関連で相談にのってもらううちに神楽坂らせんさんにテキストエディタで秀丸をおすすめされたのでVerticalEditorから乗り換えようかな、と。4320円はちょっと高い気がするけれどそれ相応の価値があっておすすめされたわけだし、ずっと使う(予定)のものだし、いいか、ということで。
 しかしマップのコメント文字化け、ショックだ……

2015年10月1日木曜日

鬱期

 大きな鬱期は先週の連休中に抜けたようだけれど、まだまだ小さな心を刺すような抑うつ感や、背後からのしかかってくる大きな不安感の壁は健在で、今日もまた効かない頓服を飲み込んでなんとか耐えたといった按配だ。なかでも不安感、虚無感とも言えるかもしれない。それはいまやっていること、やろうと心に誓ったことを平気で踏み潰しにかかってくる。抗うすべはなく、効いてるのか効いていないのかよくわからない薬を流し込んで丸くうずくまりただそれらが去るのを待つしかない。「そんなことしても無駄だよ」「本気で物語がかけるとでも思っているわけ?笑止!」「一度でも真剣に物事に取り組んだことあるの?」etc.頭の中の住人たちが侮蔑の言葉を投げつけてくる。住人たち、と三人称で書いてはいるが、実質のところ自分の心の弱さの鏡でしかないのだよな。その弱さをことさらに突きつけてくることがつらい。つらい。

2015年9月30日水曜日

手伝い

 母「明日、脱穀だけど手伝ってもらえる?」これは「暇ぶっこいてんなら手伝えよ」に意訳される。体力的に厳しいとか気分が悪いとかそういう言い訳は聞かない。仕事の小遣い賃(給与はもらっていない)がこの母の胸先三寸で決まることを考えると、有無を言わさず強制させられることと同義だ。表面上ぼくの意向を汲みとっているかのように受け取れそうな言葉を選ぶ辺りねちっこいいやらしさが漂う。
 そんなこんなで脱穀の手伝いしてきた。腕が鉛のように重い。腰と背中をやらなかったのは不幸中の幸いか。しかし腕が重いとキータイプが非常につらい。ナロンエースが筋肉痛にも効いたはずだから飲んでおこう。上半身がギシリ、ギシリ、と軋む。
 これに限ったことではなく母の「✕✕してもらえる?」は基本的に「✕✕しなさい」と同義。生殺与奪権を握っているとああまで傲慢になれるのだな。

 つかれた。

2015年9月29日火曜日

そぞろ

 昨日の続きでAMITAGEⅢを観ようかと思ったけれどどうも気がのらないので、プロメテウスとエイリアン2を観た。明け方から観たせいか、プロメテウスの方はあまり頭に入ってこなかった。首だけになった人造人間が喋ってたのと、さいご、エイリアンが孵化して終わるところしか覚えていない。これはまたそのうち気が向いたら観なおそうかしらね……。エイリアン2は何度か観たので安心して映像を垂れ流しに出来た。AMITAGEⅢは忘れちゃってるからまた最初からかなあ。とにかく明日以降の消化予定に加えておこう。でもこうやって延期にされるの3回めなんだよね……。ひと息に観てしまえるだけの体力が欲しい。
 掌編の方だけれど、これだ!と心の鈎に引っかかる物がほぼ何も無い状態なので、進捗ダメです。やはりここに帰結するけれど、吸収量が圧倒的に足りていないんだろうな。あと、吸収するスポンジがぼろぼろなのもあるかもしれない。自室→事務所→自室(ドア・トゥ・ドア)、の毎日だと日常会話もない。日常会話ニガテだけど。とにかく吸収できそうなところは積極的に突っ込んでいくのが吉、ではあることに間違いはない。

2015年9月28日月曜日

根本

 「誰かに何かを伝えたい思いはいつの時代も変わらない」ぼくは誰に何を伝えたいのだろう。一番の根幹たることが定まっていなかった。こんな体たらくで「心の芯はぶれないことが大事」とかほざいていたと思うと、五穀断ち十穀断ちして即身仏にでもなるしかないような羞恥心を憶える。消えてしまいたい。
 大きな鬱期が去ったようだが、ちまちまとした鬱は相変わらず心に巣食っている。ずしりと背なに覆いかぶさってくる正体不明の不安感も復活。効かない頓服をざらざらと流し込んでやり過ごす。目を瞑る。無いものと思い込む。
 掌編にやっと手を付け始めた。といっても、ほんとうに「手を付けた」だけなので進捗とかそんなのは皆無。クスリで回らない頭でそれっぽい言葉をぽちぽちと少しずつ打ち込んでゆく。気に入らない。消す。またぽちぽち打ち込む。繰り返し。
 input消化。AMITAGE Ⅲchapter5まで観た。もう少し早めに観始めればよかったか。しかし体が言うこと聞かないのだから仕方なし。また明日以降、続きを消化してゆこう。

2015年9月27日日曜日

今度はBloggerが

 不安定な接続の問題はアマゾンプライムでルータを速配してもらって解決した。しかし結構短期間でルータが逝くな……。買い換えるの何度目だいったい。そしてルータが解決したと思ったらBloggerの具合が悪いときたもんだ。情報の取得に失敗することが何度か続いた。他のブログサービスをあまり積極的に使ってはいないので比較のしようもないのだが、もしかしてBloggerってそれほどよろしくない? Google傘下だからそこそこしっかりしていると思ったのだけれど安易すぎたか? 使い始めたばかりだけれど引っ越す手間を掛けるほどでもないか……。なんかあちらこちらで不具合が続く。メインPCは4年目だけど大丈夫かな……。そうそう簡単に壊れてもらっては出費がかさんでかなわない。
 今日もなにもせずに終わってしまった。一日のうちすこしでもマインドマップを開く時間を作っているのだけれど、マップをにらんでいても何も書き込めずにいる日が続く。己の中身の無さが心底厭になる。

2015年9月26日土曜日

接続

 先日からこっち、どうもネットの接続があやしい。こまぎれにDNSエラーを吐いて接続が途切れる。完全に切れるのでなくこまぎれっていうあたりがなんともいやらしい。月曜にプロバイダに電話してアウトだったらルータの交換かな。しかしかなりの頻度でルータが壊れていることになる。これで何度目だ? 回線は家族共用だけどこまごました機器類はなぜかぼく持ちなんだよな。
 減量が停滞している。あと6~7キロくらいは落としたいのだけれど、ここ2週間ばかり完全に止まった状態。年末までに目標に到達できるだろうか。
 しかし接続不安定で自動バックアップが出来ないのは非常に困る。お客様窓口が平日日中オンリーっていうのは「電話すんな」ってことでいいのか?

2015年9月25日金曜日

頭の中に

 ぼくではない誰かがいる。数は不明だけれど複数人だというのは確かな感じだ。霧のようなものが立ち込めていて、なぜか声の輪郭まではっきりしない。ただなにやら怒声のようなものをぼくに向かって投げつけてくるのはわかる。罵られていることはわかるけれどなにを言っているかまでは明確にはわからない。ぼくの頭の中の住人たちは銘々気ままに毒を吐き続ける。なにぶん頭の中だけで完結していることだけにいくらその毒がつらくても外部に訴えても詮無いことではある。その毒が強すぎて、ときどきガワの自分が乗っ取られてしまいそうな、本来の自分というものがぼくではなくて頭の中の誰かであるかのような、そんな感覚を抱くこともある。これをタイプしている今も内と外との境界が曖昧でどちらが主体で書いているのかあまりさだかでないけれど、外部に発信してしまえばそれがどちらであっても受け手にとって関係のない話ではあるだろう。

 まだ、怒声がやまない。

2015年9月24日木曜日

回復

 リハビリってのは元の状態に回復させるものであって、元の状態っていうのがあまりにひどかったらそれはリハビリでなくて鍛錬じゃないのか。ぼくの目指す元の状態はとてもお粗末なもので、そこを目標にするとはなんと志の低いことなのだろう。ここはリハビリブログじゃなくて鍛錬ブロクに切り替えたほうがよかないか?とか。まあそのお粗末な状態にすら現状とどいていないのだから、一応はリハビリでいいのだろうけれど。
 今書いてるものの話。SF?っぽいもの?とファンタジィのそれぞれのイントロを更にして書きなおそうと思う。書いては消しは悪癖とはわかっていても、世界の構築がいい加減だったらそのまま突き進んだところで破綻するのは目に見えている。なのでそれぞれの再構築と追加してリハビリらしく掌編を少し練ってみようと思う。頭がついてきてくれるかな……。かなり不安だ。
 ムーミンシリーズを電書でぽちって積んでいる。ざっと眺めたところ、それほど活字密度が濃くはなかったのでこれも追々消化してゆこう。

2015年9月23日水曜日

つかれた

 昨日のことを受けて調子に乗って朝からダーク・タイドというサメ映画を観たのだけど、これが非常につまらなかった。映画として成立してるかどうかも怪しいくらいにつまらなかった。サメ映画だというのは冒頭でわかったのだけれど、どこでサメがうわぁっ!っとくるか最後まで観て結局それっぽいのは何もなかったというサメ映画としても駄目な作品。作品?作品と言っていいのか?ってシロモノ。エンドロールで「フカヒレ食べるのやめようぜ」みたいなのが流れてきたから「ああ、そういうスタンスでの映像だったんだ」と理解。しかし時すでに遅し。一日の体力ぜんぶ持って行かれてしまった。脱力。あと本を読む気力もなくなり、音楽を聴きながら猫とごろごろして一日が終わった。やっぱり読むのも観るのも基礎体力的なものが欠けている。駄映画一本で体力ゲージ全部持って行かれちゃうようじゃまだまだだ。その辺りから改善していかないといけないな。

2015年9月22日火曜日

抜けたか?

 今日はラノベ2冊(フォーチュン・クエスト7,8巻)と録り溜めてあった映画を1本(死霊のはらわた リメイク版)を消化できた。この勢いでもう1冊、もう1本いけるか?と試してみたが、そこまではちょっと無理があったようだ。でもこれは先月中頃から続いていた大きな鬱期は去ったと見て良さそうな具合だ。しかしそれでも活字密度が濃かったり解釈にある程度のリソースが必要な映像だったりするとオーバーヒート起こすから、リハビリは継続して少しずつでもやっていかなきゃならないな、という感触。活字で言えば小野不由美さんとか上橋菜穂子さんとか村上龍さんとか他にもたくさん追いかけている作家さんだけでも積読がタワーをなしているので先は長い。でもまあ活字密度の薄いところから攻める、咀嚼の要らない映像から攻める、という手法はそれほど的はずれなものではなかったことは収穫と言っていいだろう。こういうのを燃料にできるようになるまでちょっとずつの積み重ねだな。連休中に収穫できたというのも精神衛生上良かったように思う。これが「何も出来ない連休でした」じゃあ先が見えないままだった。今も見えてるとは言いがたいけれど、それでも「進んだ」感はゼロじゃあない。もうすこし、もうすこし、もうすこし。

2015年9月21日月曜日

有無

 創作ってのは無から有を生みだすのでなくて、100の有を1の有に置き換えることだ云々、というのを以前どこかで見かけて「なるほどなあ」と思った次第。ゼロから1を生みだすのでなく、100のinputを1のoutputにするとかなんとか。それを思うに、ぼくは全然inputが足りていない。毎度思うことではあるけれど、受け止める器がぼろぼろでは如何ともし難い。なんとかもう少し、心身レベルとは言わずとも、機械的な作動でいいから、どうにか活字を追うことができるようになりたい。リハビリがリハビリにならない。活字の毒っていうのもあるのはそれはそれで本当だろうけれど、毒になるほど拾っていないし、実際input量が多かった頃のほうが圧倒的に生産性は高かったから。しかし何をどうしたら目が活字を拾えるようになるのか、具体的な方法がわからないのはどうしたものか。時薬っていうのはもう選択肢から外したほうが良さそうだけれど。

2015年9月20日日曜日

遊び

 余裕というか、カツカツでなくて心が振れる遊びが欲しいと切に願う。心が揺さぶられるような出来事に出くわした時に遊びの部分がないと、心が振れない。追いつめられてしまっていると、心が振れない。もったいないとかそういうのではなく、もっと心の健全さに関わってくる事柄だと思う。今の自分はどうかというと、この遊びの部分が、ほぼ無い。一日一日をおくるので手一杯という状態だ。こういうのって心構えだけでなんとかなるのかな。ならないなら具体的に何が足りないのだろう。ものを作る際に大きく関わって来る事柄だけに逼迫した懸案事項であるように思われるのだけれど、どうしてもこれだという決定的な回答が得られないでいる。

2015年9月19日土曜日

不安感

 疾病として感じる、原因がわからないけれどそこに確かにあるという得も言われぬ巨大な何かとしての不安感でなく、自分が生きる上で何を持っているか?という問いに対して答えに窮する何も持っていないことの不安感。そうなんだよなあ、ぼくは何も持っていない。本当に何も無い。医者に「生きてていい」と言われてるから生きているだけで、ぼく自身が持っている何かによって生きているわけではない、という不安感。せめてこの胸の内の燻りだけは本物であって欲しい。生きた証を残したい。抑うつ症の不安感もたいがい酷いけれど、こっちの具体的な不安感もなかなかに重く、しんどい。

2015年9月18日金曜日

世界を

 世界の構築が遅々として進まない。科学的なフィクションとして「理屈として破綻しない」ってけっこうな縛りだ。そこまで深く考えなくてもいいっていう妥協点を見つけられないというか。やはり「すこしふしぎ」ってすごいよなあ。比較的咀嚼が容易な世界観のくせして妄想劇と一言で叩き斬れない芯がある。深くないようで深い。
 なにかうまいこと言葉が出ないな…… いつものこと、なのだけど、何も無いところから何か出るということはないのに絞り出そうというのがそもそも無理をしているのか? それにもまして最近特に言葉が出てこない気がする。ここの駄文でさえ、書いては消し、の書いては、が出来ないくらいに出てこない。どうしたものかな。

2015年9月17日木曜日

よしなしごと

 レコーディングダイエットしているのだけど、深夜過ぎ、午前2時前あたりに記録した「御飯一膳」って食べた記憶に無い。乖離性記憶障害もちょっと持っているのでそれなのかなあ? ここまできれいに抜け落ちるのは久しぶりだ。なにかストレスがかかったのだろうけれど、それも含め思い出せないでいる。なんにせよ、行動を記録する癖はつけておいたほうがいいことがはっきりしているな。

2015年9月16日水曜日

区切り

 けりをつける事も含めて、ぼくは区切るのがへたくそというか、できない。かといってだらだらと続けるのかというと、それもできないで、フェードアウトか有耶無耶か、といった按配なので、書き物するには不向きな性分といえる。こういう駄文の垂れ流しならできるんだけどねえ…… 体調的なものもあるのかなあ? しかしたとえ駄文ブログでも、もっと、こう、意識して区切る練習をしていったほうがいいのかもしれない。こんなブログのどこをどう区切るんだっていうハナシではあるけれど。考えすぎか?と思わないこともないけれど、話に区切りをつけられないことが物語を「仕舞う」ことができないことに繋がっているような気がしてならない。ちょうど2巻を読み終えたので記しておこう。

”これから小説なり何なり、お話を創作したいと考えてる人たちに、アドヴァイスするとしたら。
 まず一番!
 どんな形でもいいから、完成させてください。フィニッシュさせることです。きびしい言い方をすると、完成させたことのない人は、「小説を書いています」とはいえないと思うんです。反対に、完成させることのできた小説というのは、これから先、自信につながります。”
 深沢美潮著 フォーチュン・クエスト2巻あとがきより

 フランス書院文庫編集部

 やはりぼくに欠落しているのは「仕舞うこと」なのだろう。大変なんだよね、仕舞うって。だからこその自信なり経験値なりの源になるのだろうけれど。

2015年9月15日火曜日

鬱期

 鬱期をなかなか抜け出せないでいる。軽い日とかは確かにあるのだけれど、完全に脱したかというと、やはりそうではないという感覚が残る。切欠とか理由とかそういったものがわかればありがたいのだけど、生憎そういったたぐいのものがないので、結局待つしかないのよなあ。「楽しいことをする」っていっても、その「楽しむ」能力を欠く状態が鬱期なわけで。いや、鬱期関係なく欠いてるか? この辺りも考えれば考えるほどにわからなくなってゆくんだよなあ。なので考える分だけ無駄だと割りきっては、いる。割りきったつもりになっているだけかもしれないけれど。
 それにしてもぼくは「けれど」とか「だけど」とか否定的な物言いをしすぎるきらいがあるね…… その辺りだけでも直せるなら直したほうがいいな。

2015年9月14日月曜日

もう一本

 もう一本が引けないところまで詰まってしまったらどうなるのか。
すべてが気に入らなくなり消したくなる。
いろんなひとのいろんな言葉を必死につぶやいて思いとどまる。
そんな繰り返し。

2015年9月13日日曜日

より良く

 書き物をする上で、書いては消しってのは相当な悪癖、だとは思う。でも、どうしても今書いたものが最上とは思えない以上、手直しが入る。描き物する際の迷い線のようなものだろうな、多分。描き上げることが最優先課題だとわかっているのに、つい、もう一本線を引いてしまう。同じように書き上げる事が求められているのに、自分の中に残る「なにか違う」感。これじゃない、そうじゃない、ちがう、もっと…… 自分の声を納得させるのは困難だとわかっているけれど抗いがたい衝動が走る。永遠に完成しないループに嵌ってしまう。
 でも、たしか、ある画家がこう言ったんだ。

 「もう一本、線を引く。ぐっと良くなる」

 その次の言葉をぼくは知らない。ただただ、より良い、最上の、これしかない、という線を探して迷い続けている。

2015年9月12日土曜日

よしなしごと

 昨日からメイン機に入っているアンチウイルスのロシアのおっさんの機嫌が悪い。何度も定義データベースをアップデートしても未アップデートのアラートが出てくる。ざっとぐぐってみたが同様の症例は発見できず。なんだろうなあ?有効期間はまだ400日以上残っているし…… まあ、いいや。一応機能は有効だろう(多分)。そのうち何かしらパッチでも出てくるんじゃないかな(多分)。
 こんな感じで創作とは関係ないことを書くためにカテゴリによしなしごとを追加。わざわざ書くほどのことでもないけれど一応お印として書き留めておくことなんかに使おう。ついでに偏頭痛が酷くてナロンエース3投したけど効いてくる気配もない。ロキソニン錠の出番……か……?

2015年9月11日金曜日

進捗

 進み具合もなにも、世界ができてないのに進捗もあったもんじゃないのは当たり前のことだけれども、一応。ファンタジィっぽい方は、イントロ部分をぽつぽつと書いては消しして、4,000字程の塊になっている。SFっぽいような気がする方は、イントロがうまいこと思い浮かばなくて手付かず。まあ世界の構築のほうが先決なので、その辺りについては焦ってはいない。むしろ世界構築が進まない方に焦りを感じている。
 今現在主にこの2本をメインに持ってきてあーでもないこーでもないしているのだけど、溜まっているもの不足で固まってしまって動かないんだよなあ…… 勢いだけで書くにもその勢いを生むものがない。昨日、ハンデか燃料か、なんて言っていたけれど、本が読めないっていうのはものすごく大きな痛手だと思う。目が活字を追ってくれないんだよなあ…… 難しい。

2015年9月10日木曜日

燃料

 持病はハンディキャップか、それとも燃料か。気鬱の病のようなある種の脳疾患を持っていると、それが理由でいわゆる「普通」のことすら日常的に困難になるのだけれど(なにが普通でなにが普通じゃないのか知らんが)、それすらも燃料として物を書いてこその物書きじゃあないのか、と自分の中の弱い部分が囁いてくるのです。果たしてこれが燃料になるのか、ねえ……、さっぱり定かでないけれど、書き続けているひとはやはり清濁何もかも併せ呑んで糧としているのだろうから、やはりここで言い訳として持病を持ってきてしまうのは違うのだろうな。これ幸いと逃げ口上に乗っかって書けない理由とするのはそれは弱さだろう。ぼくはもう少し自分を追い詰めなければいけないのかもしれない。

2015年9月9日水曜日

NIGHT HEAD

 頭痛持ちである。偏頭痛である。武田真治になりきって「兄さん……、頭が、痛いよ……」である。いや、ドラマは見たことないんだけど。原作も途中まで読んでそれっきりだったなあ、そういえば。電書であるようだったらほしい物リストに突っ込んでおこう。今は、今すぐは、まだ、読めそうにない。
 鎮痛剤が効いてきたので茶化して書けるけれど、当の頭痛の真っ直中だと、とてもじゃあないが遊ぶ余裕などない。そして今日もマインドマップは埋まらない。方向がおかしいのかなあ?取っ付きやすいスタンダードな剣と魔法のファンタジィっぽいのを目指したのだけれど。並行してガチじゃないSF?みたいなのも広げているせいか?並行してるのはそれだけじゃあないけれど。どうしたものかな。

2015年9月8日火曜日

埋まらない

 埋まらない。マインドマップにキャラクターシートを挿入して広げていくようにしてある。これを一日に一度は広げて何かしら書き込んでゆくことを課しているのだけれど、本当に埋まらない。世界と人物の構築を並行してやれば具合がいいとは思うので、このやり方自体は方向性として間違っていないのだろうけれど、自分の中に溜まっているものがないのが決定的に駄目なんだろうな。input不足。何が駄目でどうすれば解決するのか明白でも、それを実行できないもどかしさ。本当にどうしたものか…… 頭を抱えて悩むより行動することのほうが解決に近づくと字面ではわかっていてもそれができてりゃ苦労はしてねぇよと。
(´・ω・`)

2015年9月7日月曜日

ストック

 昨日、やっと掌編カテゴリが誕生したのだけれど、あれの原形はたしか群雛が創刊されてしばらくした頃だったはずなので、書き物のリハビリの末生まれた、というより、お蔵入りになってた原稿が腐ってしまわないうちになんとか体裁を整えた、といった具合で、まだまだまだまだまだリハビリ不足であることに変わりはない。こんなペースで大丈夫なのかな、本当に…… 佐渡島さんが同盟セミナーで仰った「書き続けるだけで凡庸ではない」を心の支えに書き続けるしかないのだろうけれど。

2015年9月6日日曜日

微睡みの狭間

 ごそ……
 
 もそり……
 
 ぼんやりした頭の中をぐにゃぐにゃと動かし、ベッドの上で丸まっていた身体を捩って、薄目を開けて壁にかかっている時計を確認したが、未だ午前三時を数分回ったところだった。
 (またこんな時間かよ。はあ……)
 確かベッドに潜り込んだのは零時過ぎだったはずだが、と相変わらずの眠りの浅さに悪態も吐き尽きたといった様子で、それでもなけなしの抵抗で溜め息を最後に付け加えてみたものの、それで物事が何か好転するというようなことがあるわけもなく、壁の時計の秒針が刻むコチコチという無機質な音しか響かない深とした部屋に気力のない吐息がふっと現れ、消えただけだった。
 「仕方ない、起きてコーヒーでも淹れるか」
 寝間着代わりのティーシャツとハーフパンツのままドリップケトルをコンロにかけてからネルをコーヒーポットに乗せ、生欠伸を噛み殺しながら戸棚からコーヒー豆とハンドミルを取り出して、お湯が沸くのを待つ間、ゴリゴリと豆を挽きつつ、またひとつふたつと欠伸をやり過ごした。
 「そういえばこの豆もそろそろ渋くなってきていたな。早く飲みきって新しい豆を買ってこよう」
 豆は挽き終わったがお湯は未だ沸いていない。
 ふと口寂しさにベランダで煙草でもと思った矢先に、今はもう何度目かわからない禁煙中で手持ちの煙草がないことに気付き、「ちっ」と小さく舌打ちしざまにサンダルをつっかけベランダに出て、早朝というには早過ぎる夜の名残が濃く残ったこの時期にしては涼しい外の空気を煙草の代わりに少し深く吸い込んだ。
 この眠りの浅さには長年悩まされてきているが、未明に目が覚めた時にベランダで吸う空気はそれなりに嫌いでなかったりするのが長く患ってる故の慣れなのか、それとも適応といったほうが意味合いがより合致してくるのか。
 そんな事を考えているうちにケトルがシュウシュウと音を立て始めた。
 全く眠れないわけではない。普通の睡眠が取れる時もある。まあ何が「普通」なのかは個々人の物差しに依るしかないけれども。
 
 「よっす」
 唐突と云う風でもなく、隣のベランダから男が自然体というより寧ろ馴れ馴れしく目覚ましの一杯の手前に水を差す挨拶を送ってきた。名前が思い出せないが、まあいい。
 「おや、お早いお目覚めで」
 さも長く知った仲であるかのような軽い返事を返した。いや、結構長いこと隣にいるよな……、それでも名前を覚えていない。その程度の隣人。ケトルが呼んでいる。
 「いや、俺はこれから寝るところ。おやすみちゃん」
 「そうか。おやすみ」
 お互いほんの数秒といった隣人との邂逅をハンバーガーショップのダストボックスにゴミ屑を捨てるように打ち切って、また静かな朝が戻ってきた。ケトルが呼んでいる。
 
 沸いたお湯でコーヒーをドリップしつつ考えていた。
 (こうしてコーヒーを淹れるという儀式からして今日という日は確かにやって来ている。そして同時刻に彼に訪れるのは昨日の終わりでありしばしの思考シャットダウンの後、数時間経過したところで今度は彼の今日が始まる)
 (地球規模の時差で考えるまでもなくこうしたタイムラグはそれこそさっきのみたいに隣人との間で充分に体感できる。標準時と活動時間のシフトは同じものではないから至極当たり前といえば当たり前のことなのだけれども)
 (地球規模云々は大袈裟だったな。「生活タイムサイクルには個人差があります」で済む話だ)
 (タイムサイクルと言ったがそれはある程度規則正しくルーチンを回している事が前提のことで……って、そういえば名前なんだっけ?隣の。やつはどういうサイクルで日々を過ごしているんだろう?そもそも決まったサイクルがあるのだろうか?)
 顔を覚えて軽口を叩ける程度には長く隣に住んでいて正体不明というのも都会らしい空気の希薄さだな、とまで思索を巡らせたところで少しだけぬるくなったコーヒーに口をつけた。
 (取り留めのない思考ってのも疲れるものだな。こういう思考の無駄な連鎖を断ち切るのに煙草がちょうどよかったんだが)
 またぞろ一服吸い付けたい衝動がもぞりと首をもたげたが無理やりねじ伏せて、またコーヒーを啜る。更に冷めて渋みもまたもっと強く感じた。
 「うーむ……、やっぱり渋いな」
 朝の早いカラスが鳴いている。ゴミ捨て場にでも居るのだろうか。
 (まだ明けるにはずいぶん時間があるぞ。カラスにも体内時計の個体差があったりするのだろうか?それとも住民のゴミ出しの時間を学習したのか……)
 何処に居るのかわからないが、カラスたちは賑やかだ。
 残りひと口になって冷め切った渋いコーヒーを飲み干す。

 これから「今日」が始まる。

 「さてと……」

2015年9月5日土曜日

詰まった

 鬱期に突入してしばらく、なんとか一日一度はマインドマップをさらうことだけは心がけてきたけれど、脳みそが糞詰まり。何も出てこない日が続いて、正直心が折れそうだ。創る際には「こんなの書けるなんて俺ってSUGEEEEEE!!!!」くらいのテンションでやって丁度いい、とかよく聞いたり読んだりするけれど、とてもじゃないがそんな脳内麻薬どばどば状態とはもう2decadesほど縁がない。縁があった記憶もないが。エンドルフィン漬けの脳みそというのを体験してみたいものだな。さぞ気持ち良いものなんだろうなあ…… 鬱期、はやく抜けないかなあ…… 鬱期を抜けたとしても脳みその麻薬漬けとはやはり縁遠いか。うーん……

2015年9月4日金曜日

2ヶ月

 60post目である。我ながら、よくもまあ何も無い日常からひねり出して2ヶ月も続いたものだと思う。何もないことを書けばいい、という設定でやってきているのではあるけれど、そこはやはり何かしら引っかかるものがほんの少しでもなければ、書きようってものがない。書き物のリハビリが目的なのに、ブログネタを探して日常を送るようになっては、本末転倒というものだ。それなら内にこもって本を読む努力をするとかした方がまだマシだ。
 兎に角、当ブログの目的をあらためて心しておく。茶飲み話でもする感覚でいいからものを書く練習をする。茶飲み話っても、実際にその場にいると、聞き役になって自分の話なんかほとんどしないクチなんだけど。

2015年9月3日木曜日

足元

 足元見られてるよなあ、とよく思う。持病の精神疾病の影響で、時間の確約が出来ないことから、ぼくはまず一般的な雇われ職には就けない。ので実家の家業手伝いはその辺りを汲んで雇わないまでも家業手伝いとして小遣い賃を渡してくれている…… と書くとかなり良心的な家族に恵まれているようだけれど、「いてもいなくてもいいなら居なくていい」とか「やる気を見せろ、誠意を見せろ」とか精神的追い詰めを平気でやってくる。ぼくはぼくで無収入は困るから身体の許す限り動いてるんだけど、如何せんポンコツ、動けたり動けなかったりなのはこのブログでも書いている通り。まだ親が代表だから首の皮繋がっているけれど、代替わりしたら遠慮なく切ってくるだろうとは思う。ほぼ間違いない。2代目とは反りが合わないというやつだ。もう十何年と病んでいるけれど、家族の疾病への理解は、まだない。この先もないと思っておいたほうがいいだろうな。ひとは変わらないよ。変わらない。

2015年9月2日水曜日

スリーグッドとか

 その日のうちで良かったことを3つ挙げるんだそうな。ぼくの場合には日じゃなくて週でも危ういぞ。でもまあ悪くないことはひとつ。懐かしさにフォーチュン・クエストをまとめ買いして読んだ。1巻を読み切った。inputの練習としては上出来だ。4日掛かったけど。
 そういえばこれ1巻が平成元年に初版で、今年の8月に新刊が出てるのな。息が長く愛されてる作品だなあ。ぼくにもこれくらい皆に愛される作品がかけたらいいなあ。今から27年も書き続けたとしたらもう爺さんだよ。まあいい。あの隆慶一郎さんは還暦過ぎて小説家になったんだ。何事も遅いということはない。かなり珍しくポジティブに〆。

2015年9月1日火曜日

鬱々

 鬱ネタくらいしか書くことのない日々。思うことをばばばばっとそれこそ書き殴ればそれでいいというハードルの低さに設定しているけれど、その「思うこと」が、ない。物を考えられないのだ。思索を始めようとすると気鬱や無気力が邪魔をする。振り払う力は、今のぼくにはない。悪魔の声が聞こえる。「もう、それ、向いてないんじゃねえの? 土台無理だったんだよ」いい返す言葉もない。縋る光はあまりに頼りない。決して光の途絶えぬことを祈るばかり。

2015年8月31日月曜日

キツいな

 逃げ場のない暴力的なまでの不安感に潰されそうだ。理由や原因なんかどうでもいい、理不尽な、心の臓を握りつぶされるかのような圧迫感。呼吸が止まり圧死してしまいそうな有無を言わせない圧力。効かない頓服をざらと流し込む。後はただ耐える。逃げ道はない。ただ耐える。失せろ。失せろ。失せろ失せろ失せろ失せろ失せろ失せろ念じる

2015年8月30日日曜日

抑鬱感と偏頭痛

 早朝から鬱屈した空気が胸を占めて身動きが取れずに、薬を飲みに起き上がることも出来ず、ただひたすらに日中をベッドの上で抑鬱感に耐えることに割いた。午後になった辺り(時間を把握できていないので憶測だが)で偏頭痛も加わり、ただただ忍の一字。今は何とか動けるようにはなったけどしんどい休日だったわ。
 こういう避け難い大きな壁でなく、日常の、身体は動くけれど心の中は鬱が占めているアレ、何とかならないかな。能動的に楽しむってどうやるんだ? まず「能動的行動」ってのがハードル高いのだけどさらに「楽しむ」となると、もう、なんというか、手詰まり。助けて!ポジティブ仮面!@未来さん

2015年8月29日土曜日

焦るな

 焦れるのは仕方ないことだろうけれど焦ったところで物事がうまくゆく筈もなし、もっと鷹揚にどっかり構えていればいいさ。と自分に言い聞かせてはいるけれど相変わらず焦燥感がじりじりと心を焼く。「物が書けないのは物を読まないから」と答えは出ているのに、その「物を読む」ための集中力が壊滅的にダメになっているのが問題なんだよな。そしてダメになっている理由が精神疾病と。これも答えが出ている。順序立てて考えればまず病の寛解が第一、ということになるんだろうけれど、十数年も病んでいると寛解を待つのではなく、どう付き合っていくかを考えたほうが賢そうだというところに至るわけで。うまい付き合い方か……

2015年8月28日金曜日

また徹夜

 朝の時間を守れないので寝ずに起きてるという。身体には悪いんだろうな。頭が重い。今日の通院は緑内障の定期健診だった。神経に異常が見られるが症状は現れていないので要経過観察。
 書き物のこと。「見る前に翔べ」とはよく言われることだけど、跳ぶにはまず足元が固まってないと跳べないよね。なので「足元を固めてから見る前に跳べ」に実際はなるんじゃなかろうか。すごく保守的な言葉になっちゃうよな。本来は「足元など気にせず、今、すぐに、跳べ」ってことなんだろうけれど。出来ることと出来ないことがある。まあそれすらも「出来る出来ないの判断をする前に跳べ」ということだろうな。

2015年8月27日木曜日

やはり寝過ごした

 徹夜した次の夜はやはり寝過ごすよな。目覚ましを止めたことすら覚えていない。
 病院帰りの喫茶店でバス待ちの時間を潰していると、昨日の多幸感ではないが、書き物に対して前向きになれそうな予兆めいたものをほんのり感じた。それはすぐ消え去ってしまったのだけれど、帰宅してからもまた何かポジティブさをほのめかす感覚にうっすらと覆われた。これも直ぐ消えてしまったけれど。鬱期を抜ける切欠だったりするのだろうか。いままでこういう感覚に襲われたことがほぼ無いだけに何とも言えないのだけど。
 そして明日も通院日である。

2015年8月26日水曜日

少し

 徹夜した。まだ暗い明け方、コーヒーのカフェインで軽くハイになった状態をつくってマインドマップとキャラクターシートの穴埋めをした。テンションが狂ってる状態での書き物は鬱になった時に読み返すと絶望的なダメさ加減がボディブローを打ち込んでくる。昼過ぎまで穴埋めを続けて仕事のために仮眠らしきものを少し取った。微睡みの中でここ久しく感じていなかった多幸感に近いものを感じたような気がする。気のせいかもしれないが。というか仕事が終わったら鬱だったから気のせいで間違いないだろう。
 明日は通院日。遅刻しないように。

2015年8月25日火曜日

練習なんだから

 「書く」練習なんだから、どんなことでも些細な事でも中身がなくたって書けばいいんだよ、と、ぼくの心のなかの弱い部分が甘言を囁いてくる。でもその甘言にすら乗れない自分はどうなんだ。書く練習と言いながら綴るのは只々書けない愚痴ばかり。言い訳ばかり。逃げ口上ばかり。どこまで客観できているかはわからないが、俯瞰してみて自分が逃げているようにしか見えない。これのどこがリハビリなんだよ。ただのチラ裏じゃねぇか。そんなんじゃないよ。練習だよ。練習をするんだよ。書く練習をするんだよ。文章を綴る練習をするんだよ。わかったかこの腑抜けが。

2015年8月24日月曜日

影響

 昨日があんなんだったからか、今日は何も手につかず。何も読めず。何も書けず。ただあたまン中だけはグルグルと動き回っていて、でも何も出てこなくて。
 このグルグルを言葉に落とす技量が必要とされているんだよな。それなら答えは出てるじゃないか。
「技量不足」
 何事につけても圧倒的にinput量が足りていない。inputに割いている時間が足りていない。
 わかっていて出来ていないなんて、最低最悪の部類じゃないか。
 その胸の燻りは本物か?熱はあるのか?胃の腑を焼きつくすほどの熱情はあるのか?
 いくら言葉を飾り立てて言い訳を言い募っても、その熱が偽物なんかじゃ何もできるはずがない。出来てもそれはペテンだ。最低だ。絶対に最低のペテン野郎になんかなりたくない。絶対になりたくない。

2015年8月23日日曜日

有無を言わさず

 書こう。書け。書くんだ。継続こそ力。なんて言葉のお守りも気鬱の生き苦しさの前では心底頼りない。しかし縋ることが出来る言葉はそれしか無い。「続けろ」
 出来ない時にしなきゃならないのも努力なんだろうか。歩けない時にも這いずり前進するのも努力なんだろうか。どんどん弱気になってくるな。空元気も出やしないよ。みんな行き詰まった時には何をお守りにしてるのだろう。
 独りブレストをした。アイデアは空転するばかりで気鬱が悪化するだけだった。それでもやらないより良かったのだろうか。
 今日はとてもつかれた。今日もとてもつかれた。

2015年8月22日土曜日

捉え方

 例えばプロ野球。巨人阪神戦、阪神が勝利し巨人が負けた。広島ヤクルト戦、広島が勝利しヤクルトが負けた。ということをどう話すか。ぼくの親族郎党みな揃って「巨人が負けた」「ヤクルトが負けた」と言う。「阪神が勝った」「広島が勝った」とは決して言わない。負けた方をボロカスに言って共感を得ようというパターンだ。ぼくはこれが大嫌いだ。
 テニス界日本のエース錦織選手が準決勝敗退。「惜しかったな。次頑張ってもらわにゃ」なんて決して言わない。「調子に乗りすぎてるんだよ。ここらで負けておいた方がいい」
 本音を言えばポリティカルなことは書きたくないけど、中韓についてもこき下ろすことで溜飲を下げてる人達ばかりだ。「自分はどうするか」には決して触れない辺り末期だな、と独り黙って胸糞悪い気分を飲み込む日々。
 ぼくは絶対にこういうひとにはならないという決意を胸にしまいつつ。そんなこんなで鬱期はまだまだ続きそうだ。やれやれ。

2015年8月21日金曜日

落ち着かない

 昨日のざわつきは今なお胸の内にくすぶり続けていて、心落ち着けてディスプレイの前に座らせてくれない。タオルケットにかじりつきながら身を横たえている間にいくつの妄想の断片が走ったろう。これ、断片のままでいいから妄想をメモできないものかな。このままじゃ本当に何も生産できないただの肉塊だ。夢日記を書くと精神破綻するって言うけれど本当かね? まあ日記を書けるだけ覚醒してしまっていたら夢のほうが何処かへ飛んでいってしまっているだろうね。

2015年8月20日木曜日

ざわつき

 胸の内が不穏な空気でざわつき満たされていてとても堪らない。気を抜いたら押し潰されそうだ。効かない頓服を目いっぱいまで流し込んでうずくまる。うずくまっていた。うずくまっている。こういう時、何に縋ればいいのかわからない。原因がわからないから対処の仕様も想像つかない。わからないことばかりだ。「わからないことに不安を感じるのは時間の無駄」とばっさり言い切る輩の多いことは重々承知で「じゃあてめぇがおれと代わってみろよ」と言いたくもなる。有無をいわさず襲い掛かってくる正体不明の理不尽な不安感というのも存在しているのだ。気の持ちようなんかで寛解できたら医者はいらねぇよ。つらい。

2015年8月19日水曜日

折れてもメタル

 髪の染め直しを決断した。こういう鬱期に大きな決断はするものではないとわかっていてもタイミングが逃せなかった。基本世の中に向かって中指立てるのが好きな人種なので、髪も真っ赤に染めていたりしてるけど、どうにも書き物業をするための生活基盤が脆くなりすぎてしまうという両刃の剣。なので年末の冬コミ上京を前乗りして美容院で染め直す。坂本英三さんはメタルで喰えない時代、タクシードライバーで乗り切ったという。でもメタルだ。ぼくもこの妥協は内に秘めた反骨を否定するものでないと信じて。ひとりで立てるようになったらもう一度染め直すさ。

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2015年8月18日火曜日

怒声

 今日は一段と聞こえない怒声が聞こえてきた一日だった。幻聴だから聞こえてないんだけど幻聴だから聞こえてくる怒声。何をいっているのか、言葉の輪郭ははっきりとしないが、怒鳴りつけられていることだけがはっきり感じられる怒鳴り声。ただひたすらに厭な気分を増長させる聞こえない声。延々と続き、終わりの見えない厭な声。慣れるようなものではないなあ。
 まあこんな一日だったので、頓服流しこんで終始タオルケットにしがみついて丸くうずくまっているしかなかった。まだ遠くの方からなにか声が聞こえてくる。内容は分からないが嫌な感じだけは伝わってくる声。寝て起きて消えていればいいなあ。

2015年8月17日月曜日

波乗り気分

 この鬱の波を波乗り気分で乗り越えられるならどんなによかろうか。今日も溺れないように波をやり過ごすことに終始し何も得られない1日だった。得も言われぬ得体のしれない不安感が胸をうめつくす。「波が来ている」と客観視出来ても、それで何か策を講じられるか? 否。 これが暫く続くと思うと気がますます滅入る。
 少しだけ良いこと。ポチッた雑誌をちら見するくらいのことは出来た。それ以上は無理だった。全く無理ではなかったところが光か。どんなに細い光でも縋るしか無い。光よ途切れるな。

2015年8月16日日曜日

鬱期

 先のスイッチ切れが鬱期の始まりだったっぽい。どういうサイクルか未だ分からないが、何もかもがどうでもよくなる鬱期ってのが時折やってくる。この期間は何をどうしてもポジティブなこととは縁遠くなり、思索も悪いことしか思い浮かばなくなる。どうやって乗り切るかは時薬以外に見つかっておらず、それも抜け出すまでどれくらいかかるか予測がつかない。その間このリハビリブログもちゃんと続けられるかなあ? ここで空元気でも「続ける!」と断言できないところが鬱期。せっかくポチった読み物にも手が伸びないや。早く抜けてくれないかなあ……

2015年8月15日土曜日

気持ち悪い

 昨日のスイッチ切れからこっち、体調も思わしくなく、吐き気はないものの気持ち悪さが胸を占めて如何ともし難い。ちょっとマジ勘弁。日記なんかつけてる場合じゃねえや。

2015年8月14日金曜日

気が抜けた

 朝起きて、服薬して、のそのそとコンビニへ荷物受け取りに行って、帰ってきたら、そこでぷしゅーっとなにか知らんがスイッチがオフになってしまい、一日何もせずじまいだった。正直なところ、これタイプする気力もそんなにない。何のスイッチだろう?
 コミケ1日目だったなあ。夏コミはスケジュール上行けないことになってるので、うらやましいなあ、と指を咥えてるしか無いのだけれども今年の冬はどうかなあ、incomeが寂しい限りなのでどうなるやら。

2015年8月13日木曜日

瞼は重いのだが

 昨夜は終始眠れず徹夜してしまい、今朝早くから昼過ぎあたりまでだらだらとマインドマップの穴埋めなんかをしていた。午後になって瞼も重くなってきて、「これは仮眠くらい取れるだろう」と横になったものの、うつらうつらするだけで睡眠には至らず。結局夕方起きだして、また穴埋めの続きをポチポチ。しかしこれをタイプしてる今も瞼が重い…… 明日の日中動けなくなるフラグだなーとか思いつつも、取れる対策が特にないのがしんどいところ。休日だからとリズム崩していいことは何もない。まあハナからリズムらしいリズムが明確にあるか?と問われれば「No.」なんだけど。
 てゆかあーだめだ、これ書いてたらあたま回んなくなっちゃった。休むしか無いねこりゃ。やれやれだぜ。

2015年8月12日水曜日

拠り所

 心を(脳を)病んでからこっち、大きく落ちた時に「これさえあればなんとか心を落ち着かせられる」という拠り所探しの人生を送っているような感じなんだけれども、結局未だにこれというものを見つけ出せないでいる。音楽がそれかなあ?となんとなく思ってはいるけれど、「これだ!」という決定的なものではなく、寝逃げ以上の方法に出会っていない。寝逃げってその場を凌ぐ分には有効かもしれないけれど、長い目で見ると時薬に頼っているだけでしか無いのよな。もっと、こう、積極的な(?)拠り所が欲しいのだけれど。言葉にするのは難しいな。書き物に関しては衝動に近い感情が胃の腑の辺りに燻っているのを感じるけれど、それが薬になる気配はないし。癒しつつ情動を操るうまい方法がないものだろうか。

2015年8月11日火曜日

感覚

 手応えのない日々を漫然と過ごしていると、努力の仕方を忘れっちまったのかなあ、と思ったりもする。焦って物事がうまくいくわけではないのは承知しているが、それでも「小さな継続」って本当に忍耐のいることだよなあ。なかなか難しい。このブログひとつにしたって、何もないところから書くことをひねり出しているので、半ば苦行に近い感覚でいる。しかし惰性にならないだけまだやる価値のあることだと思うことにしよう。

2015年8月10日月曜日

推進力

 コンプレックスの推進力への変換方法がわからん。そもそも妬み嫉みとは縁遠い性格のため、コンプレックスの中心となるものがつかめないでいる。tips集なんかじゃよく「コンプレックスは自分の個性になる核になる」とかなんとか書かれているけれど、「へえ」としか感想が出ない。これって実はかなりのディスアドバンテージじゃないか?と思ったらなにか悔しくなるかと思っても、それほど悔しい感じもしない。「羨ましいなあ」と感じても「でもひとはひと」と割りきってきたからか。コンプレックスに代わる推進力になる何か、誰かご存知ありませんか?

2015年8月9日日曜日

落ち着けない

 朝からイラつきと不安の一緒になったような(イラつきのほうが大きかったか)もやもやが胸を支配して何も手につかない状態。頓服を流しこんで、ベッドの上でタオルケットを抱え込んでうずくまりとにかく波が引くのを待ち続けた一日だった。今はなんとか大丈夫。しかし貴重な日曜の日中をまるごと潰してしまった。そんな調子だったので思索思案に割く脳のリソースが無くただ時間が潰れただけ。とは言えもったいないが仕方のない時間的出費か。できる時にできることをできるだけやるしかない。粛々と、粛々と。寝るまで書き物tips集でも読もう。

2015年8月8日土曜日

カフェイン?

 今朝、といっても4時過ぎくらいの早朝。あまりしっかり寝付けずに朝を迎えてしまって、まあいいや、コーヒーでも淹れよう、とコーヒー飲んだら日中かなりハイに近い状態に。その状態のままだとほぼ確実に次に落ちることは経験上わかっているので、気分をできるだけフラットに保つよう努めた。でも落ちてるよりマシなのも確かなので、虫食いのマインドマップを埋めたり、昨日の思いつきに肉付けできる部分を作っていったり、と書き物練習の方が少しばかり充実したのはラッキーだったと思う。この「ちょっとハイ気味で落ちることなく安定してディスプレイに向かえる」のを常態化したいんだけどそうは問屋が卸さないのよな。うん、わかってる。明日は明日ですることがある。切り替え、切り替え。

2015年8月7日金曜日

面白いかな?



 かな?じゃなくて面白く作るのが仕事でしょう? はい撃沈。「言葉を出すリハビリ」なんだからもっとばあああーーーっと思ったこと駄々漏れでいいから書きなさいと自分自身に言われているんだが、思考の前段階の思索ができていない。鬱傾向を回避する投薬の副作用、なのかなあ。副作用じゃないか、深く考えることそのものを封じてるのかもしれない。てゆかリスペリドンってそんなに強かったっけ? 抗鬱薬はかなり減薬されてもうリスペリドンだけで、あとは入眠剤しかないんだけど。
 まあいいや。今日のいいコトを探そう。今日はoutputのトリガーになりそうなキーワードをひとつ見つけられた。いいことだ。面白い!でなくて面白いかな?って感じではあるけれど、ちょっとニッチなくらいがちょうどいい按配になるんじゃなかろうか。少し引きずるテーマとしてはいいものを見つけたように思う。カタチにするには時間がかかるだろうけど心に留めておこう。

2015年8月6日木曜日

思案どころ



 「悩む暇があったら動け。悩みながらでも動け」と言われるのはわかっていても悩むと足は止まるよね。日中の時間をきっちり有効に使いたいなあ。今はまったくダメだ。無気力無関心無感動に脳を蝕まれていると能動的な行動が本当にできないんだよな。「言い訳は聞き飽きた」との声が天から降ってくるけれども。時薬以外の何か有効なクスリはないのだろうか。症状や環境は変遷しつつも、もう15年だ。いい加減にしろと癇癪も起こし……起こせないんだよね、そういう気力すらない。地道にinputしながら気まぐれにでも起きたチカラでoutputの練習、しかないのかなあ。継続は力、継続は力、継続は力。動き続けろ、動き続けろ、動き続けろ。

2015年8月5日水曜日

軸は何処にある?

 常に自問しつつも明確に答えられない。「駈け出してもいないひよっこ未満がほざくな」と返されると、もう何も言えなくなってしまう問題。何かを書こうとすると必ずついて回ってきて、そこで歩みが止まってしまう。しかし心の師達は皆、「決して止まるな」と言い、同時に「軸を持て」とも言う。これほど難解な問題があろうか。書きたい気持ちは、ある。確かにある。それは書きたいという願望というより、書かなければ、という生き方に近いところにあるもののように自分では思う。ものを書く理由としては上出来な方だとは思うんだけれど、この胃の腑の近くでくすぶっている燃えかすのようなぐずぐずとしたものをどう処理していいのかわからず、こんなブログまで立ち上げてあーだこーだしているわけで。ここは情熱より先に技術を、なのか、熱情の赴くまま、なのか、それもわからず。悩みながら今日も足掻くのです。

2015年8月4日火曜日

敢えて

 日中寝ていた。昨日の鬱の消耗があまりに激しかったので一呼吸置いて落ち着かせる意味で。こういうハンディキャップは心底ありがたくない存在だよなあ、と思うも、それを超えてこその創作なんじゃないのかと言う声も天から降ってきて、まあ嘆く暇があったら読め、書け、ってことだろうね。
 ネガティブな気分を持ち直そうとしての空元気的なポジティブさって覚めると虚しいけど、それでもすがる相手はそこにしか無いのだから仕方がない。消耗したら回復させることが必要だと思うんだけど、ベースが鬱なので回復薬の使用も消耗するという悪循環。
 また愚痴ってしまった。ぼくには時間がないんだ、悩んだら悩みながらでも行動。行動が全て。動くこと。動けなかったらそれはその時だ。がんばろう。

2015年8月3日月曜日

鬱がひどい

 大波が来た。意識はあれど身体動かず。頓服を流し込み耐える。耐えている。早く退け。

2015年8月2日日曜日

金縛りとキャラクターシート

 金縛りではなくて眠剤の抜けが悪かっただけなんだろうけど、日中身動き取れず、動き始めたのが夕方5時近くだった。眠れない時はほんとうにまったく眠れないのに効くときはドカンと効くのな。落差大きすぎだ。以前はこんなことそうあることではなかったのだけど、ここ一ヶ月ちょっとおかしいな。と言って眠剤無しではこれもまたまず眠れないからどうしたものか。

 キャラクターシートのこと。今のシートはちょっと行き詰まってしまった感があるので、新規シートで仕切り直そうと思う。思うのは簡単だけど、最初の取っ掛かりが問題だ。こういう時に日頃のinput量が絶対的に足りていないと痛感する。引き出しの数が圧倒的に少ないのだ。悲しいかな無知が知恵絞ろうっても空雑巾絞るようなもので何が出るわけでもない。やはりもっと本を読まねば。読むための気力を溜めなければ。結局諸問題は気鬱の病に帰結するんだよね。本当にどうにかなんねえかなXXったれめ。

2015年8月1日土曜日

眠剤

 頑固な入眠困難~睡眠障害を抱えていてお上の減薬方針にあらがってかなり強い眠剤を処方されているんだけれど、それでも寝付きが悪い。以前に「眠れないなら眠らなきゃいい」とか書いたけど、まあただの強がりで、正直眠れるなら眠りたい、身体がつらい。今日は徹夜明けで頭がほとんど働かない。二夜連続の入眠困難は避けたい。薬が効きますように。つらい。

2015年7月31日金曜日

口癖



 言霊ってのがあるように、あまりいいことではないんだろうけど、「しんどい」「えらい(大変の意)」が口癖になってるなあ、と思う。思うだけじゃなくて実際口癖になってるのか。まあ現実として気鬱の病と併発して体力低下してるから、何をするにもハードルが高くてしんどく、えらく感ぜられるのだろうけど。体力面だけじゃなくて精神面でもハードルが上がってるんだろうな。無気力無関心無感動のみっつの無ってのは「生きること」の阻害剤だからね。
 ここまで前フリしておいて今日も頭痛と気持ち悪さとでえらくしんどい一日だった。だった、ってまだしばらく活動はするけどね。鎮痛剤の効きが鈍いけど連投しすぎているからかなあ? 気持ち悪さはなんとか治まった。さあ脳みそに鞭打ってキャラクターシートを埋めていこう。

2015年7月30日木曜日

集中

 無気力無関心無感動を患ってると、それにともなって集中力も大きく欠けてしまう。自分の「気」がどこにも向かないんだもん、当たり前の話だ。だからといって時薬に任せてただその時が来るのを待つよりはなにか足掻いた方がいいだろう、ってのがこのブログの主旨のひとつ。
 そんなわけで神楽坂らせんさんの「らせん式ドラマロジー入門」でキャラクターシートがひとつ紹介されてたのでそれを埋めてるんだけど、まあ埋まらないこと埋まらないこと悲しいほど埋まらない。人物のイメージは膨らんでいるんだけれど、シートに向き合う集中力が本当に情けないほどにない。もう半月経つんだがなあ…… 本当に猛毒です、無気力無関心無感動って。ブレインウォッシャーに突っ込んだろかこのクソ頭……

2015年7月29日水曜日

切り替え

 どうも上手くいかない。
 起きて、頭の中のごちゃごちゃをまとめたりinput作業したりoutputの練習したりして、仕事して、また頭の中の整理に戻る。
 基本、日常はこの繰り返しなんだけれど、そもそも体調と心的状況とが不安定極まりないから日常作業をルーチン化出来ないんだよな。「継続は力」というのはもう誰も彼もに言い尽くされていてそれはほぼ真であるのは間違いないのだろうけれど、このリハビリブログも書くことのないところから無理やりネタ出しして書いてるので継続することがいかに大変かはわかるんだけど……、わかるんだけどそれを阻害する要素が大きすぎてつらい。
 泣き言になっちゃったな。でも健全な身体と心で取り組むのとはだいぶハードルの高さが違うんだよな。そこを乗り越えた時に何かがあることを願うしか無いといえばそれまでだけど。そもそも乗り越えられるハードルなのかということにすら疑念が湧く始末……
 皆さんこういう雑念はどうやって払ってます? ぼくは……

2015年7月28日火曜日

二毛作と気胸

 直接関係するわけではない。「人生二毛作は当たり前。長生きすると三毛作くらいいけます」とは小池先生の弁。ぼくは人生の半分を学業と精神疾患に費やした。二毛作が当たり前っていうならこれからもうひと山あるってことだよな。切り替えても大丈夫だよな。未だ引きずる気鬱の病に不安感ばかりが胸を埋め尽くすこの状況で氏の言葉だけが頼みの綱。

 仕事あがって直ぐ、かなり久しぶりに自然気胸の軽いやつに襲われた。ドレーン使わずにじっとうずくまってるだけで治っちゃう程度の軽い気胸。高校の時に大きいのにやられて入院したんだけど大きさにかかわらず苦しい物は苦しいよな。今は治まってこうやってぽちぽちリハビリブログなんか書いてるけど、「いつ襲われるかわからない」って結構な心的負担だったりする。幸い大きな再発はまだ経験してないけど無いとはいえない。大きいのは左だったから今度なる時は右かなあ……、などとぼんやり考えながらベッドの上でうずくまって凌いだ。なかなか本格的には壊れないところにぼくの身体のポンコツさ加減が出ていると思う。

2015年7月27日月曜日

凪のちさざ波

 今朝起きると昨日のハイが嘘のように消え、また無気力無関心無感動に戻っていた。これはいつものことなのでとにかくぼーっと過ごした。昼ごろ体調が良くない兆候を示したので少し昼寝もした。
 夕方、凪が一転、ざわざわと胸の中が泡立ち不安感でいっぱいになってしまった。取れる対処法は頓服飲んで小池先生の本を抱え込むことだけだったのでそうした。
 何も出来ない。ほんとうにぼくは何も出来ない。まだ不安感は続いている。短いけど今日はここで筆を置く。

2015年7月26日日曜日

ハイ

 結局昨夜は胸の内のもやもやが治まらず徹夜してしまった。そして縋った今日は打って変わって妙にハイテンション気味。もういっそ寝ようとするのをやめようと、明け方コーヒー啜って散歩してきた。この散歩もかなり久しぶり。と言ってもこれまでしてきた散歩もお世辞にも健康的と言いがたい、睡眠障害で早朝覚醒したからせめて運動になることを、という感じのものだったので、徹夜明けの目覚ましの今朝の散歩も五十歩百歩といったところ。日中眠くなるかな?とか思ったけれどそんなこともなくハイを理由に久しぶりにゲームしたりしてみて、ゲームが出来てしまって驚いたりした。最近ずっと無気力無関心無感動の最悪状態だったからね、ゲームに食指が動いたことだけでもかなり転調してるのにそれなりに楽しめてしまったからさらに。
 まあゲームができることが確認できたのでそれはそれでよしとして、先日の小池先生繋がりで先生のキャラクター論をぺらぺらと繰って落ち着いて残りの日中を過ごせた。
 ここ数日をみても分かる通り、大波小波が心身ともに襲ってくるのが日常。寛解するのか、これはこれと受け止めなければならないのか、十数年病んでみても未だわからない。でもまあ「明日が来ないのは一生に一度だけ」なので、今日を生き、明日を生きるしか無いんだろう。しんどいけど。

2015年7月25日土曜日

すぐれない

 心身ともにだめ。不安感は昨日の波をまだ引きずっている感じで、身体の方はとにかくだるい。重い。両方いっぺんに来ることなんて珍しくもないんだけど、それでも決して慣れるものではないなあ、とひたすら閉口する。今夜も頓服を流し込み縮こまってやり過ごすしかない。「心の持ちよう」でどうにかなる問題では無いのだ。「病は気から」ではなくて「気の病」なのだ。「気」すなわち「脳」の病なのだ。他所様がするように軽く「平気、平気」と蹴散らせる類の代物ではないのだ。
 明日に縋ろう。

2015年7月24日金曜日

揺れ戻すように

 得体の知れぬ不安感でいっぱいの一日だった。この不安感の正体がつかめなくて難儀しているんだけど、本当に何なんだろうな一体…… 仕事あがって頓服突っ込んで、ベッドに転がって小池先生のツイッター発言選集を開いては閉じ、閉じては開き、繰り返し。ようやっと不安感が薄らいできたのでこうやってぽちぽち今日の出来事としてタイプしている。今後の目標としてフィクションノンフィクション織り交ぜつつ1回のpost分量を増やして読み物としての体裁を整える方向にシフトするつもりなんだけど、なかなか難しいね。でも続けることが大事。継続、大事。大事。

2015年7月23日木曜日

根は単純なのよ

 小池一夫先生のツイッター発言選集「「孤独」が人を育てる」を読んだ。一気に読んだ。疲れて息継ぎしたくなったりしたけど一気に読んだ。ぼく自身長生きする方ではないとは自分で思うのだけど、こういう爺さんは憧れだね。熱情が冷めかかってしまったら、胸のエンジンに火をつけるために何度でも読み返そう。今回だけでもinputするための基本的なエネルギーがチャージできた。
 ちなみに爺さんでなくて憧れのおっさんは山田玲司さんである。我ながらわかりやすい好みだとは思うけど。

2015年7月22日水曜日

初日からそう上手くいくわけもなく

 自分の時間だと決めたところで、身体がついてこなければ意味のないことで、今日はもうこのまま潰れたい。身体を慣らさないといけないな。あと薬の内容もちょっと考えよう。とにかく早く「言葉が出ない」を克服したい。焦ってはいけないと言いつつもう十数年経つからなあ…… まあ症状も変遷しているので一概にどうのこうのと言えたわけでもないけど。
 取り敢えず今夜も何かする。ちょっとでいいから何かする。

そう上手く行くかな?

 夜眠れないのなら眠らなきゃいいじゃん。その分何か書くとか読むとか、そういう時間にしちゃえばいいじゃん。長年睡眠障害患ってると「普通」ってやつに縛られてしまって余計悪化していくような気がする。自分の身体が求めているタイムスケジュールに抗うから辛いのだろう。眠れないなら眠るな。
 これ何度も繰り返して、上手くいきそうなところで外野の「普通」ってのに潰されてしまってきているから、半ば諦めてるところもないわけじゃないけど、今回ばかりはちょっと本気で取り組んでみるか。
 自分の時間。そう、自分の時間だ。自分のことに使う時間だ。

2015年7月21日火曜日

不安感



 今更蒸し返すようなことでもないけれどここに書くのは初めてなので。慢性的な不安感に襲われている。頓服もほぼ毎日リミットいっぱいまでなのですでに頓服ではない。「思いつめない」とか「もっと気を楽に」とかそんなもの無駄。それができていれば病院通いなんかしていないって。鬱傾向の強い統合失調症ってことなんだけど統合失調症って100人に1人だっけ?本当にみんな快癒してるの?毎日がしんどいです……

2015年7月20日月曜日

無理しすぎたか

 昨夜無理をしすぎたか、今日は寝潰れてしまった。今日は、でなくて、今日も、か。やはり意に反する行動を強引に行うと反動がきついな。でもすこしでも無理をしないと前には進めない。非常に悩ましい。切実に健康な身体がほしい。身体というか脳な。身体は多少ポンコツでも動けばそれでいいから健康な脳がほしい。

2015年7月19日日曜日

強引に

 晴海まどかさんの「明日が雨でも晴れでも」を読みきった。無理があった。話はとても良かったのだけど、「読む」という行為の消耗感ハンパない。間に休みを挟みつつだったけど、それでも「ライトなラノベ」ですらこの体たらく。体力回復には程遠いな。

身体がえらい

 今日は朝起きられたから散歩がてらに久しぶりの図書館にでも……と思ったのだが、畑仕事を言いつけられてしまい往生した。ただでさえ引きこもって体力無い人間を炎天下の農作業に駆り出したらどうなるかっての。終わってからも積読崩しに手が伸びるはずもなく、ただただぐったりしていた。折角の休みがこういう形で潰れるのは不本意なのだがなあ……

2015年7月18日土曜日

一夜明けて

 一夜というか日中起きていられないので一日明けての方がまだ近い。ふわふわとしていたテンションは鬱屈状態にまで下がり、とてもじゃないが何をする気にもなれない。こういう常にさざ波立ってる精神状態っていうのは本当に参ってしまう。取り敢えず抗不安薬を流し込んでおいた。

おかしな



 テンションが微妙に揺らいでいる。浮遊感というかハイテンションとは違った浮ついた感じ。アニメ観てるからかな? 勢いこのまま深夜ハイってことで本が読めればいいのだけれど……、それは無理だな。押していい無理と押し通したほうがいい無理とがあるよね。でもちょっとだけGunSuの短編読み切りだけでも寝る前に読もうかな。無理ない程度、の、無理。着実に前へ進むための一歩。

2015年7月17日金曜日

無から有は出ない



 理解ってるんだけどね、でも取り込むことが本当に出来ない。心底泣きたくなるほどだ。リハビリなんて称してブログ立ち上げて1周間足らずで音を上げるなんて格好悪いことこの上ないけれど、脳が受け付けないんだ、つらい。辛うじて出来ているinputといえば深夜アニメ数本と音楽だけ。これがなかったら自我の矜持に関わる事態に陥ってるんだろうな、とも思うと最期に縋った藁だけどとても大切な部分であることに違いはないだろう。
 でもこんな風に焦っては駄目だね。1ページ読めたら次は1ページ半、2ページ、2ページ半……、亀の歩みでも進むしか無い。進むしか無いんだ。

2015年7月16日木曜日

ここへ来て不調

 朝、目覚ましで起きられずいつもより一本遅いバスで病院へ。担当医は必ず入院という言葉を挟むようになってきている。いつも通りといえばいつも通りだった。帰ってきてすぐ、全身が重い。これをタイプしている今も非常にしんどい。不調らしい不調がしばらくなかったせいか、苦しさもより増して感じられる。体重が減らない。

2015年7月15日水曜日

騙されるな

 今日は朝から少し浮ついたような感覚に陥っていた。躁という程でもないけれども、どん底の鬱ではないといった感じ。こういう時は危ない。鬱ではないことはいいことのようだが、理由のない通常と異なる状況によって、却ってなにかしくじりを犯す可能性が高い。今日もその心得に従ってより一層慎重に行動できたと思う。ちゃんと裏付け有っての浮遊感なら歓迎できるのだけれどまだまだそこには遠いな。

2015年7月14日火曜日

隔靴掻痒

 仕事を夕方に回してもらって、日中はほぼフリーの状況なのだけれど、その肝心のフリーの時間が使えない。目を覚ましても動けない、そもそも目がさめるのが昼過ぎ夕方近く、これでは何も出来ない。仕事を終えてからの時間も頭の中が切り替えられずに呆けたままで、これまた使いものにならない。

 書く練習とはいえ現状を具体的に書きだすのは神経磨り減るなあ……

2015年7月13日月曜日

無理を押して見る



 焦燥感が背景にあるのは否めないが、それでも何かしないといけないのは明白で、「体力・気力が湧かないからそれをするのがつらい」ということも無理に行動に移せば、荒療治ではあるけれども習慣付くのではなかろうか。
 どれほどのストレスになるかわからない。しかしストレスだからといってなにもしないことに比べたら少しはプラスの方向に動くかもしれない。
 時間はない。ストレス覚悟でinput作業を再開せねば。始めなければ。

2015年7月12日日曜日

無気力・無感動

 今朝は珍しくすんなり目が覚めた。かと言って日中丸っと空くかといえばそういうわけでもなく、動く気力もなく、ベッドの上で横になっていただけなので非生産性極まりない。もう何年も続いているけれど「何も出来ない事実」が日増しに大きく重く背なにのしかかってくるのは心の臓を握りつぶされるような苦しさがある。
 「本でも読めば?」「映画でも観れば?」と言われるのもいちいち最もなのだが、外部から入力される情報に心動かされることがほぼ無いので、視界は常に色褪せた灰色の世界でしか無い。故に本にも映画にも心惹かれることすら無くなってしまっている。
 取り敢えず食指を延ばせるだけの基本的な体力を作ることが第一だろうか。

まずは推敲しないところから



 「書く」という行為そのものが壊滅的に駄目なので、思考の駄々漏れでいいから行動としての「書く」に体を慣らしてゆく。
 推敲しないとか書いちゃってるけど、無意識に言葉を選びながらタイピングしている。駄々漏れには程遠く、これで書く練習になるのか、実際のところかなり不安だったりするが、取り敢えず進むしか道はないので「書き慣れる」まで頭のなかの雑音を振り払って書き続けてみる。
 これを書いているのは日曜の朝。珍しくすんなり目が覚めたのでコーヒーを淹れて目覚まししてからディスプレイに向かっている。しかし引きこもっていると書くことが出てこないな。まあ取り敢えず朝のタイピング練習はした、ということにしておく。

2015年7月11日土曜日

焦燥感

時間がない。
書くことをやめて幾年月、完全に「ものを書くこと」が身体から抜け落ちてしまっている。
時間がない。
蝕まれた精神が筆を止める。思考を止める。歩みを止める。
時間がない。
少し、ほんの少しだけでも書くことを習慣の中に取り込むためここにブログを立ち上げる。
時間がない。
ぼくの手に、筆を。