2015年7月31日金曜日

口癖



 言霊ってのがあるように、あまりいいことではないんだろうけど、「しんどい」「えらい(大変の意)」が口癖になってるなあ、と思う。思うだけじゃなくて実際口癖になってるのか。まあ現実として気鬱の病と併発して体力低下してるから、何をするにもハードルが高くてしんどく、えらく感ぜられるのだろうけど。体力面だけじゃなくて精神面でもハードルが上がってるんだろうな。無気力無関心無感動のみっつの無ってのは「生きること」の阻害剤だからね。
 ここまで前フリしておいて今日も頭痛と気持ち悪さとでえらくしんどい一日だった。だった、ってまだしばらく活動はするけどね。鎮痛剤の効きが鈍いけど連投しすぎているからかなあ? 気持ち悪さはなんとか治まった。さあ脳みそに鞭打ってキャラクターシートを埋めていこう。

2015年7月30日木曜日

集中

 無気力無関心無感動を患ってると、それにともなって集中力も大きく欠けてしまう。自分の「気」がどこにも向かないんだもん、当たり前の話だ。だからといって時薬に任せてただその時が来るのを待つよりはなにか足掻いた方がいいだろう、ってのがこのブログの主旨のひとつ。
 そんなわけで神楽坂らせんさんの「らせん式ドラマロジー入門」でキャラクターシートがひとつ紹介されてたのでそれを埋めてるんだけど、まあ埋まらないこと埋まらないこと悲しいほど埋まらない。人物のイメージは膨らんでいるんだけれど、シートに向き合う集中力が本当に情けないほどにない。もう半月経つんだがなあ…… 本当に猛毒です、無気力無関心無感動って。ブレインウォッシャーに突っ込んだろかこのクソ頭……

2015年7月29日水曜日

切り替え

 どうも上手くいかない。
 起きて、頭の中のごちゃごちゃをまとめたりinput作業したりoutputの練習したりして、仕事して、また頭の中の整理に戻る。
 基本、日常はこの繰り返しなんだけれど、そもそも体調と心的状況とが不安定極まりないから日常作業をルーチン化出来ないんだよな。「継続は力」というのはもう誰も彼もに言い尽くされていてそれはほぼ真であるのは間違いないのだろうけれど、このリハビリブログも書くことのないところから無理やりネタ出しして書いてるので継続することがいかに大変かはわかるんだけど……、わかるんだけどそれを阻害する要素が大きすぎてつらい。
 泣き言になっちゃったな。でも健全な身体と心で取り組むのとはだいぶハードルの高さが違うんだよな。そこを乗り越えた時に何かがあることを願うしか無いといえばそれまでだけど。そもそも乗り越えられるハードルなのかということにすら疑念が湧く始末……
 皆さんこういう雑念はどうやって払ってます? ぼくは……

2015年7月28日火曜日

二毛作と気胸

 直接関係するわけではない。「人生二毛作は当たり前。長生きすると三毛作くらいいけます」とは小池先生の弁。ぼくは人生の半分を学業と精神疾患に費やした。二毛作が当たり前っていうならこれからもうひと山あるってことだよな。切り替えても大丈夫だよな。未だ引きずる気鬱の病に不安感ばかりが胸を埋め尽くすこの状況で氏の言葉だけが頼みの綱。

 仕事あがって直ぐ、かなり久しぶりに自然気胸の軽いやつに襲われた。ドレーン使わずにじっとうずくまってるだけで治っちゃう程度の軽い気胸。高校の時に大きいのにやられて入院したんだけど大きさにかかわらず苦しい物は苦しいよな。今は治まってこうやってぽちぽちリハビリブログなんか書いてるけど、「いつ襲われるかわからない」って結構な心的負担だったりする。幸い大きな再発はまだ経験してないけど無いとはいえない。大きいのは左だったから今度なる時は右かなあ……、などとぼんやり考えながらベッドの上でうずくまって凌いだ。なかなか本格的には壊れないところにぼくの身体のポンコツさ加減が出ていると思う。

2015年7月27日月曜日

凪のちさざ波

 今朝起きると昨日のハイが嘘のように消え、また無気力無関心無感動に戻っていた。これはいつものことなのでとにかくぼーっと過ごした。昼ごろ体調が良くない兆候を示したので少し昼寝もした。
 夕方、凪が一転、ざわざわと胸の中が泡立ち不安感でいっぱいになってしまった。取れる対処法は頓服飲んで小池先生の本を抱え込むことだけだったのでそうした。
 何も出来ない。ほんとうにぼくは何も出来ない。まだ不安感は続いている。短いけど今日はここで筆を置く。

2015年7月26日日曜日

ハイ

 結局昨夜は胸の内のもやもやが治まらず徹夜してしまった。そして縋った今日は打って変わって妙にハイテンション気味。もういっそ寝ようとするのをやめようと、明け方コーヒー啜って散歩してきた。この散歩もかなり久しぶり。と言ってもこれまでしてきた散歩もお世辞にも健康的と言いがたい、睡眠障害で早朝覚醒したからせめて運動になることを、という感じのものだったので、徹夜明けの目覚ましの今朝の散歩も五十歩百歩といったところ。日中眠くなるかな?とか思ったけれどそんなこともなくハイを理由に久しぶりにゲームしたりしてみて、ゲームが出来てしまって驚いたりした。最近ずっと無気力無関心無感動の最悪状態だったからね、ゲームに食指が動いたことだけでもかなり転調してるのにそれなりに楽しめてしまったからさらに。
 まあゲームができることが確認できたのでそれはそれでよしとして、先日の小池先生繋がりで先生のキャラクター論をぺらぺらと繰って落ち着いて残りの日中を過ごせた。
 ここ数日をみても分かる通り、大波小波が心身ともに襲ってくるのが日常。寛解するのか、これはこれと受け止めなければならないのか、十数年病んでみても未だわからない。でもまあ「明日が来ないのは一生に一度だけ」なので、今日を生き、明日を生きるしか無いんだろう。しんどいけど。

2015年7月25日土曜日

すぐれない

 心身ともにだめ。不安感は昨日の波をまだ引きずっている感じで、身体の方はとにかくだるい。重い。両方いっぺんに来ることなんて珍しくもないんだけど、それでも決して慣れるものではないなあ、とひたすら閉口する。今夜も頓服を流し込み縮こまってやり過ごすしかない。「心の持ちよう」でどうにかなる問題では無いのだ。「病は気から」ではなくて「気の病」なのだ。「気」すなわち「脳」の病なのだ。他所様がするように軽く「平気、平気」と蹴散らせる類の代物ではないのだ。
 明日に縋ろう。

2015年7月24日金曜日

揺れ戻すように

 得体の知れぬ不安感でいっぱいの一日だった。この不安感の正体がつかめなくて難儀しているんだけど、本当に何なんだろうな一体…… 仕事あがって頓服突っ込んで、ベッドに転がって小池先生のツイッター発言選集を開いては閉じ、閉じては開き、繰り返し。ようやっと不安感が薄らいできたのでこうやってぽちぽち今日の出来事としてタイプしている。今後の目標としてフィクションノンフィクション織り交ぜつつ1回のpost分量を増やして読み物としての体裁を整える方向にシフトするつもりなんだけど、なかなか難しいね。でも続けることが大事。継続、大事。大事。

2015年7月23日木曜日

根は単純なのよ

 小池一夫先生のツイッター発言選集「「孤独」が人を育てる」を読んだ。一気に読んだ。疲れて息継ぎしたくなったりしたけど一気に読んだ。ぼく自身長生きする方ではないとは自分で思うのだけど、こういう爺さんは憧れだね。熱情が冷めかかってしまったら、胸のエンジンに火をつけるために何度でも読み返そう。今回だけでもinputするための基本的なエネルギーがチャージできた。
 ちなみに爺さんでなくて憧れのおっさんは山田玲司さんである。我ながらわかりやすい好みだとは思うけど。

2015年7月22日水曜日

初日からそう上手くいくわけもなく

 自分の時間だと決めたところで、身体がついてこなければ意味のないことで、今日はもうこのまま潰れたい。身体を慣らさないといけないな。あと薬の内容もちょっと考えよう。とにかく早く「言葉が出ない」を克服したい。焦ってはいけないと言いつつもう十数年経つからなあ…… まあ症状も変遷しているので一概にどうのこうのと言えたわけでもないけど。
 取り敢えず今夜も何かする。ちょっとでいいから何かする。

そう上手く行くかな?

 夜眠れないのなら眠らなきゃいいじゃん。その分何か書くとか読むとか、そういう時間にしちゃえばいいじゃん。長年睡眠障害患ってると「普通」ってやつに縛られてしまって余計悪化していくような気がする。自分の身体が求めているタイムスケジュールに抗うから辛いのだろう。眠れないなら眠るな。
 これ何度も繰り返して、上手くいきそうなところで外野の「普通」ってのに潰されてしまってきているから、半ば諦めてるところもないわけじゃないけど、今回ばかりはちょっと本気で取り組んでみるか。
 自分の時間。そう、自分の時間だ。自分のことに使う時間だ。

2015年7月21日火曜日

不安感



 今更蒸し返すようなことでもないけれどここに書くのは初めてなので。慢性的な不安感に襲われている。頓服もほぼ毎日リミットいっぱいまでなのですでに頓服ではない。「思いつめない」とか「もっと気を楽に」とかそんなもの無駄。それができていれば病院通いなんかしていないって。鬱傾向の強い統合失調症ってことなんだけど統合失調症って100人に1人だっけ?本当にみんな快癒してるの?毎日がしんどいです……

2015年7月20日月曜日

無理しすぎたか

 昨夜無理をしすぎたか、今日は寝潰れてしまった。今日は、でなくて、今日も、か。やはり意に反する行動を強引に行うと反動がきついな。でもすこしでも無理をしないと前には進めない。非常に悩ましい。切実に健康な身体がほしい。身体というか脳な。身体は多少ポンコツでも動けばそれでいいから健康な脳がほしい。

2015年7月19日日曜日

強引に

 晴海まどかさんの「明日が雨でも晴れでも」を読みきった。無理があった。話はとても良かったのだけど、「読む」という行為の消耗感ハンパない。間に休みを挟みつつだったけど、それでも「ライトなラノベ」ですらこの体たらく。体力回復には程遠いな。

身体がえらい

 今日は朝起きられたから散歩がてらに久しぶりの図書館にでも……と思ったのだが、畑仕事を言いつけられてしまい往生した。ただでさえ引きこもって体力無い人間を炎天下の農作業に駆り出したらどうなるかっての。終わってからも積読崩しに手が伸びるはずもなく、ただただぐったりしていた。折角の休みがこういう形で潰れるのは不本意なのだがなあ……

2015年7月18日土曜日

一夜明けて

 一夜というか日中起きていられないので一日明けての方がまだ近い。ふわふわとしていたテンションは鬱屈状態にまで下がり、とてもじゃないが何をする気にもなれない。こういう常にさざ波立ってる精神状態っていうのは本当に参ってしまう。取り敢えず抗不安薬を流し込んでおいた。

おかしな



 テンションが微妙に揺らいでいる。浮遊感というかハイテンションとは違った浮ついた感じ。アニメ観てるからかな? 勢いこのまま深夜ハイってことで本が読めればいいのだけれど……、それは無理だな。押していい無理と押し通したほうがいい無理とがあるよね。でもちょっとだけGunSuの短編読み切りだけでも寝る前に読もうかな。無理ない程度、の、無理。着実に前へ進むための一歩。

2015年7月17日金曜日

無から有は出ない



 理解ってるんだけどね、でも取り込むことが本当に出来ない。心底泣きたくなるほどだ。リハビリなんて称してブログ立ち上げて1周間足らずで音を上げるなんて格好悪いことこの上ないけれど、脳が受け付けないんだ、つらい。辛うじて出来ているinputといえば深夜アニメ数本と音楽だけ。これがなかったら自我の矜持に関わる事態に陥ってるんだろうな、とも思うと最期に縋った藁だけどとても大切な部分であることに違いはないだろう。
 でもこんな風に焦っては駄目だね。1ページ読めたら次は1ページ半、2ページ、2ページ半……、亀の歩みでも進むしか無い。進むしか無いんだ。

2015年7月16日木曜日

ここへ来て不調

 朝、目覚ましで起きられずいつもより一本遅いバスで病院へ。担当医は必ず入院という言葉を挟むようになってきている。いつも通りといえばいつも通りだった。帰ってきてすぐ、全身が重い。これをタイプしている今も非常にしんどい。不調らしい不調がしばらくなかったせいか、苦しさもより増して感じられる。体重が減らない。

2015年7月15日水曜日

騙されるな

 今日は朝から少し浮ついたような感覚に陥っていた。躁という程でもないけれども、どん底の鬱ではないといった感じ。こういう時は危ない。鬱ではないことはいいことのようだが、理由のない通常と異なる状況によって、却ってなにかしくじりを犯す可能性が高い。今日もその心得に従ってより一層慎重に行動できたと思う。ちゃんと裏付け有っての浮遊感なら歓迎できるのだけれどまだまだそこには遠いな。

2015年7月14日火曜日

隔靴掻痒

 仕事を夕方に回してもらって、日中はほぼフリーの状況なのだけれど、その肝心のフリーの時間が使えない。目を覚ましても動けない、そもそも目がさめるのが昼過ぎ夕方近く、これでは何も出来ない。仕事を終えてからの時間も頭の中が切り替えられずに呆けたままで、これまた使いものにならない。

 書く練習とはいえ現状を具体的に書きだすのは神経磨り減るなあ……

2015年7月13日月曜日

無理を押して見る



 焦燥感が背景にあるのは否めないが、それでも何かしないといけないのは明白で、「体力・気力が湧かないからそれをするのがつらい」ということも無理に行動に移せば、荒療治ではあるけれども習慣付くのではなかろうか。
 どれほどのストレスになるかわからない。しかしストレスだからといってなにもしないことに比べたら少しはプラスの方向に動くかもしれない。
 時間はない。ストレス覚悟でinput作業を再開せねば。始めなければ。

2015年7月12日日曜日

無気力・無感動

 今朝は珍しくすんなり目が覚めた。かと言って日中丸っと空くかといえばそういうわけでもなく、動く気力もなく、ベッドの上で横になっていただけなので非生産性極まりない。もう何年も続いているけれど「何も出来ない事実」が日増しに大きく重く背なにのしかかってくるのは心の臓を握りつぶされるような苦しさがある。
 「本でも読めば?」「映画でも観れば?」と言われるのもいちいち最もなのだが、外部から入力される情報に心動かされることがほぼ無いので、視界は常に色褪せた灰色の世界でしか無い。故に本にも映画にも心惹かれることすら無くなってしまっている。
 取り敢えず食指を延ばせるだけの基本的な体力を作ることが第一だろうか。

まずは推敲しないところから



 「書く」という行為そのものが壊滅的に駄目なので、思考の駄々漏れでいいから行動としての「書く」に体を慣らしてゆく。
 推敲しないとか書いちゃってるけど、無意識に言葉を選びながらタイピングしている。駄々漏れには程遠く、これで書く練習になるのか、実際のところかなり不安だったりするが、取り敢えず進むしか道はないので「書き慣れる」まで頭のなかの雑音を振り払って書き続けてみる。
 これを書いているのは日曜の朝。珍しくすんなり目が覚めたのでコーヒーを淹れて目覚まししてからディスプレイに向かっている。しかし引きこもっていると書くことが出てこないな。まあ取り敢えず朝のタイピング練習はした、ということにしておく。

2015年7月11日土曜日

焦燥感

時間がない。
書くことをやめて幾年月、完全に「ものを書くこと」が身体から抜け落ちてしまっている。
時間がない。
蝕まれた精神が筆を止める。思考を止める。歩みを止める。
時間がない。
少し、ほんの少しだけでも書くことを習慣の中に取り込むためここにブログを立ち上げる。
時間がない。
ぼくの手に、筆を。