2015年9月30日水曜日

手伝い

 母「明日、脱穀だけど手伝ってもらえる?」これは「暇ぶっこいてんなら手伝えよ」に意訳される。体力的に厳しいとか気分が悪いとかそういう言い訳は聞かない。仕事の小遣い賃(給与はもらっていない)がこの母の胸先三寸で決まることを考えると、有無を言わさず強制させられることと同義だ。表面上ぼくの意向を汲みとっているかのように受け取れそうな言葉を選ぶ辺りねちっこいいやらしさが漂う。
 そんなこんなで脱穀の手伝いしてきた。腕が鉛のように重い。腰と背中をやらなかったのは不幸中の幸いか。しかし腕が重いとキータイプが非常につらい。ナロンエースが筋肉痛にも効いたはずだから飲んでおこう。上半身がギシリ、ギシリ、と軋む。
 これに限ったことではなく母の「✕✕してもらえる?」は基本的に「✕✕しなさい」と同義。生殺与奪権を握っているとああまで傲慢になれるのだな。

 つかれた。

2015年9月29日火曜日

そぞろ

 昨日の続きでAMITAGEⅢを観ようかと思ったけれどどうも気がのらないので、プロメテウスとエイリアン2を観た。明け方から観たせいか、プロメテウスの方はあまり頭に入ってこなかった。首だけになった人造人間が喋ってたのと、さいご、エイリアンが孵化して終わるところしか覚えていない。これはまたそのうち気が向いたら観なおそうかしらね……。エイリアン2は何度か観たので安心して映像を垂れ流しに出来た。AMITAGEⅢは忘れちゃってるからまた最初からかなあ。とにかく明日以降の消化予定に加えておこう。でもこうやって延期にされるの3回めなんだよね……。ひと息に観てしまえるだけの体力が欲しい。
 掌編の方だけれど、これだ!と心の鈎に引っかかる物がほぼ何も無い状態なので、進捗ダメです。やはりここに帰結するけれど、吸収量が圧倒的に足りていないんだろうな。あと、吸収するスポンジがぼろぼろなのもあるかもしれない。自室→事務所→自室(ドア・トゥ・ドア)、の毎日だと日常会話もない。日常会話ニガテだけど。とにかく吸収できそうなところは積極的に突っ込んでいくのが吉、ではあることに間違いはない。

2015年9月28日月曜日

根本

 「誰かに何かを伝えたい思いはいつの時代も変わらない」ぼくは誰に何を伝えたいのだろう。一番の根幹たることが定まっていなかった。こんな体たらくで「心の芯はぶれないことが大事」とかほざいていたと思うと、五穀断ち十穀断ちして即身仏にでもなるしかないような羞恥心を憶える。消えてしまいたい。
 大きな鬱期が去ったようだが、ちまちまとした鬱は相変わらず心に巣食っている。ずしりと背なに覆いかぶさってくる正体不明の不安感も復活。効かない頓服をざらざらと流し込んでやり過ごす。目を瞑る。無いものと思い込む。
 掌編にやっと手を付け始めた。といっても、ほんとうに「手を付けた」だけなので進捗とかそんなのは皆無。クスリで回らない頭でそれっぽい言葉をぽちぽちと少しずつ打ち込んでゆく。気に入らない。消す。またぽちぽち打ち込む。繰り返し。
 input消化。AMITAGE Ⅲchapter5まで観た。もう少し早めに観始めればよかったか。しかし体が言うこと聞かないのだから仕方なし。また明日以降、続きを消化してゆこう。

2015年9月27日日曜日

今度はBloggerが

 不安定な接続の問題はアマゾンプライムでルータを速配してもらって解決した。しかし結構短期間でルータが逝くな……。買い換えるの何度目だいったい。そしてルータが解決したと思ったらBloggerの具合が悪いときたもんだ。情報の取得に失敗することが何度か続いた。他のブログサービスをあまり積極的に使ってはいないので比較のしようもないのだが、もしかしてBloggerってそれほどよろしくない? Google傘下だからそこそこしっかりしていると思ったのだけれど安易すぎたか? 使い始めたばかりだけれど引っ越す手間を掛けるほどでもないか……。なんかあちらこちらで不具合が続く。メインPCは4年目だけど大丈夫かな……。そうそう簡単に壊れてもらっては出費がかさんでかなわない。
 今日もなにもせずに終わってしまった。一日のうちすこしでもマインドマップを開く時間を作っているのだけれど、マップをにらんでいても何も書き込めずにいる日が続く。己の中身の無さが心底厭になる。

2015年9月26日土曜日

接続

 先日からこっち、どうもネットの接続があやしい。こまぎれにDNSエラーを吐いて接続が途切れる。完全に切れるのでなくこまぎれっていうあたりがなんともいやらしい。月曜にプロバイダに電話してアウトだったらルータの交換かな。しかしかなりの頻度でルータが壊れていることになる。これで何度目だ? 回線は家族共用だけどこまごました機器類はなぜかぼく持ちなんだよな。
 減量が停滞している。あと6~7キロくらいは落としたいのだけれど、ここ2週間ばかり完全に止まった状態。年末までに目標に到達できるだろうか。
 しかし接続不安定で自動バックアップが出来ないのは非常に困る。お客様窓口が平日日中オンリーっていうのは「電話すんな」ってことでいいのか?

2015年9月25日金曜日

頭の中に

 ぼくではない誰かがいる。数は不明だけれど複数人だというのは確かな感じだ。霧のようなものが立ち込めていて、なぜか声の輪郭まではっきりしない。ただなにやら怒声のようなものをぼくに向かって投げつけてくるのはわかる。罵られていることはわかるけれどなにを言っているかまでは明確にはわからない。ぼくの頭の中の住人たちは銘々気ままに毒を吐き続ける。なにぶん頭の中だけで完結していることだけにいくらその毒がつらくても外部に訴えても詮無いことではある。その毒が強すぎて、ときどきガワの自分が乗っ取られてしまいそうな、本来の自分というものがぼくではなくて頭の中の誰かであるかのような、そんな感覚を抱くこともある。これをタイプしている今も内と外との境界が曖昧でどちらが主体で書いているのかあまりさだかでないけれど、外部に発信してしまえばそれがどちらであっても受け手にとって関係のない話ではあるだろう。

 まだ、怒声がやまない。

2015年9月24日木曜日

回復

 リハビリってのは元の状態に回復させるものであって、元の状態っていうのがあまりにひどかったらそれはリハビリでなくて鍛錬じゃないのか。ぼくの目指す元の状態はとてもお粗末なもので、そこを目標にするとはなんと志の低いことなのだろう。ここはリハビリブログじゃなくて鍛錬ブロクに切り替えたほうがよかないか?とか。まあそのお粗末な状態にすら現状とどいていないのだから、一応はリハビリでいいのだろうけれど。
 今書いてるものの話。SF?っぽいもの?とファンタジィのそれぞれのイントロを更にして書きなおそうと思う。書いては消しは悪癖とはわかっていても、世界の構築がいい加減だったらそのまま突き進んだところで破綻するのは目に見えている。なのでそれぞれの再構築と追加してリハビリらしく掌編を少し練ってみようと思う。頭がついてきてくれるかな……。かなり不安だ。
 ムーミンシリーズを電書でぽちって積んでいる。ざっと眺めたところ、それほど活字密度が濃くはなかったのでこれも追々消化してゆこう。

2015年9月23日水曜日

つかれた

 昨日のことを受けて調子に乗って朝からダーク・タイドというサメ映画を観たのだけど、これが非常につまらなかった。映画として成立してるかどうかも怪しいくらいにつまらなかった。サメ映画だというのは冒頭でわかったのだけれど、どこでサメがうわぁっ!っとくるか最後まで観て結局それっぽいのは何もなかったというサメ映画としても駄目な作品。作品?作品と言っていいのか?ってシロモノ。エンドロールで「フカヒレ食べるのやめようぜ」みたいなのが流れてきたから「ああ、そういうスタンスでの映像だったんだ」と理解。しかし時すでに遅し。一日の体力ぜんぶ持って行かれてしまった。脱力。あと本を読む気力もなくなり、音楽を聴きながら猫とごろごろして一日が終わった。やっぱり読むのも観るのも基礎体力的なものが欠けている。駄映画一本で体力ゲージ全部持って行かれちゃうようじゃまだまだだ。その辺りから改善していかないといけないな。

2015年9月22日火曜日

抜けたか?

 今日はラノベ2冊(フォーチュン・クエスト7,8巻)と録り溜めてあった映画を1本(死霊のはらわた リメイク版)を消化できた。この勢いでもう1冊、もう1本いけるか?と試してみたが、そこまではちょっと無理があったようだ。でもこれは先月中頃から続いていた大きな鬱期は去ったと見て良さそうな具合だ。しかしそれでも活字密度が濃かったり解釈にある程度のリソースが必要な映像だったりするとオーバーヒート起こすから、リハビリは継続して少しずつでもやっていかなきゃならないな、という感触。活字で言えば小野不由美さんとか上橋菜穂子さんとか村上龍さんとか他にもたくさん追いかけている作家さんだけでも積読がタワーをなしているので先は長い。でもまあ活字密度の薄いところから攻める、咀嚼の要らない映像から攻める、という手法はそれほど的はずれなものではなかったことは収穫と言っていいだろう。こういうのを燃料にできるようになるまでちょっとずつの積み重ねだな。連休中に収穫できたというのも精神衛生上良かったように思う。これが「何も出来ない連休でした」じゃあ先が見えないままだった。今も見えてるとは言いがたいけれど、それでも「進んだ」感はゼロじゃあない。もうすこし、もうすこし、もうすこし。

2015年9月21日月曜日

有無

 創作ってのは無から有を生みだすのでなくて、100の有を1の有に置き換えることだ云々、というのを以前どこかで見かけて「なるほどなあ」と思った次第。ゼロから1を生みだすのでなく、100のinputを1のoutputにするとかなんとか。それを思うに、ぼくは全然inputが足りていない。毎度思うことではあるけれど、受け止める器がぼろぼろでは如何ともし難い。なんとかもう少し、心身レベルとは言わずとも、機械的な作動でいいから、どうにか活字を追うことができるようになりたい。リハビリがリハビリにならない。活字の毒っていうのもあるのはそれはそれで本当だろうけれど、毒になるほど拾っていないし、実際input量が多かった頃のほうが圧倒的に生産性は高かったから。しかし何をどうしたら目が活字を拾えるようになるのか、具体的な方法がわからないのはどうしたものか。時薬っていうのはもう選択肢から外したほうが良さそうだけれど。

2015年9月20日日曜日

遊び

 余裕というか、カツカツでなくて心が振れる遊びが欲しいと切に願う。心が揺さぶられるような出来事に出くわした時に遊びの部分がないと、心が振れない。追いつめられてしまっていると、心が振れない。もったいないとかそういうのではなく、もっと心の健全さに関わってくる事柄だと思う。今の自分はどうかというと、この遊びの部分が、ほぼ無い。一日一日をおくるので手一杯という状態だ。こういうのって心構えだけでなんとかなるのかな。ならないなら具体的に何が足りないのだろう。ものを作る際に大きく関わって来る事柄だけに逼迫した懸案事項であるように思われるのだけれど、どうしてもこれだという決定的な回答が得られないでいる。

2015年9月19日土曜日

不安感

 疾病として感じる、原因がわからないけれどそこに確かにあるという得も言われぬ巨大な何かとしての不安感でなく、自分が生きる上で何を持っているか?という問いに対して答えに窮する何も持っていないことの不安感。そうなんだよなあ、ぼくは何も持っていない。本当に何も無い。医者に「生きてていい」と言われてるから生きているだけで、ぼく自身が持っている何かによって生きているわけではない、という不安感。せめてこの胸の内の燻りだけは本物であって欲しい。生きた証を残したい。抑うつ症の不安感もたいがい酷いけれど、こっちの具体的な不安感もなかなかに重く、しんどい。

2015年9月18日金曜日

世界を

 世界の構築が遅々として進まない。科学的なフィクションとして「理屈として破綻しない」ってけっこうな縛りだ。そこまで深く考えなくてもいいっていう妥協点を見つけられないというか。やはり「すこしふしぎ」ってすごいよなあ。比較的咀嚼が容易な世界観のくせして妄想劇と一言で叩き斬れない芯がある。深くないようで深い。
 なにかうまいこと言葉が出ないな…… いつものこと、なのだけど、何も無いところから何か出るということはないのに絞り出そうというのがそもそも無理をしているのか? それにもまして最近特に言葉が出てこない気がする。ここの駄文でさえ、書いては消し、の書いては、が出来ないくらいに出てこない。どうしたものかな。

2015年9月17日木曜日

よしなしごと

 レコーディングダイエットしているのだけど、深夜過ぎ、午前2時前あたりに記録した「御飯一膳」って食べた記憶に無い。乖離性記憶障害もちょっと持っているのでそれなのかなあ? ここまできれいに抜け落ちるのは久しぶりだ。なにかストレスがかかったのだろうけれど、それも含め思い出せないでいる。なんにせよ、行動を記録する癖はつけておいたほうがいいことがはっきりしているな。

2015年9月16日水曜日

区切り

 けりをつける事も含めて、ぼくは区切るのがへたくそというか、できない。かといってだらだらと続けるのかというと、それもできないで、フェードアウトか有耶無耶か、といった按配なので、書き物するには不向きな性分といえる。こういう駄文の垂れ流しならできるんだけどねえ…… 体調的なものもあるのかなあ? しかしたとえ駄文ブログでも、もっと、こう、意識して区切る練習をしていったほうがいいのかもしれない。こんなブログのどこをどう区切るんだっていうハナシではあるけれど。考えすぎか?と思わないこともないけれど、話に区切りをつけられないことが物語を「仕舞う」ことができないことに繋がっているような気がしてならない。ちょうど2巻を読み終えたので記しておこう。

”これから小説なり何なり、お話を創作したいと考えてる人たちに、アドヴァイスするとしたら。
 まず一番!
 どんな形でもいいから、完成させてください。フィニッシュさせることです。きびしい言い方をすると、完成させたことのない人は、「小説を書いています」とはいえないと思うんです。反対に、完成させることのできた小説というのは、これから先、自信につながります。”
 深沢美潮著 フォーチュン・クエスト2巻あとがきより

 フランス書院文庫編集部

 やはりぼくに欠落しているのは「仕舞うこと」なのだろう。大変なんだよね、仕舞うって。だからこその自信なり経験値なりの源になるのだろうけれど。

2015年9月15日火曜日

鬱期

 鬱期をなかなか抜け出せないでいる。軽い日とかは確かにあるのだけれど、完全に脱したかというと、やはりそうではないという感覚が残る。切欠とか理由とかそういったものがわかればありがたいのだけど、生憎そういったたぐいのものがないので、結局待つしかないのよなあ。「楽しいことをする」っていっても、その「楽しむ」能力を欠く状態が鬱期なわけで。いや、鬱期関係なく欠いてるか? この辺りも考えれば考えるほどにわからなくなってゆくんだよなあ。なので考える分だけ無駄だと割りきっては、いる。割りきったつもりになっているだけかもしれないけれど。
 それにしてもぼくは「けれど」とか「だけど」とか否定的な物言いをしすぎるきらいがあるね…… その辺りだけでも直せるなら直したほうがいいな。

2015年9月14日月曜日

もう一本

 もう一本が引けないところまで詰まってしまったらどうなるのか。
すべてが気に入らなくなり消したくなる。
いろんなひとのいろんな言葉を必死につぶやいて思いとどまる。
そんな繰り返し。

2015年9月13日日曜日

より良く

 書き物をする上で、書いては消しってのは相当な悪癖、だとは思う。でも、どうしても今書いたものが最上とは思えない以上、手直しが入る。描き物する際の迷い線のようなものだろうな、多分。描き上げることが最優先課題だとわかっているのに、つい、もう一本線を引いてしまう。同じように書き上げる事が求められているのに、自分の中に残る「なにか違う」感。これじゃない、そうじゃない、ちがう、もっと…… 自分の声を納得させるのは困難だとわかっているけれど抗いがたい衝動が走る。永遠に完成しないループに嵌ってしまう。
 でも、たしか、ある画家がこう言ったんだ。

 「もう一本、線を引く。ぐっと良くなる」

 その次の言葉をぼくは知らない。ただただ、より良い、最上の、これしかない、という線を探して迷い続けている。

2015年9月12日土曜日

よしなしごと

 昨日からメイン機に入っているアンチウイルスのロシアのおっさんの機嫌が悪い。何度も定義データベースをアップデートしても未アップデートのアラートが出てくる。ざっとぐぐってみたが同様の症例は発見できず。なんだろうなあ?有効期間はまだ400日以上残っているし…… まあ、いいや。一応機能は有効だろう(多分)。そのうち何かしらパッチでも出てくるんじゃないかな(多分)。
 こんな感じで創作とは関係ないことを書くためにカテゴリによしなしごとを追加。わざわざ書くほどのことでもないけれど一応お印として書き留めておくことなんかに使おう。ついでに偏頭痛が酷くてナロンエース3投したけど効いてくる気配もない。ロキソニン錠の出番……か……?

2015年9月11日金曜日

進捗

 進み具合もなにも、世界ができてないのに進捗もあったもんじゃないのは当たり前のことだけれども、一応。ファンタジィっぽい方は、イントロ部分をぽつぽつと書いては消しして、4,000字程の塊になっている。SFっぽいような気がする方は、イントロがうまいこと思い浮かばなくて手付かず。まあ世界の構築のほうが先決なので、その辺りについては焦ってはいない。むしろ世界構築が進まない方に焦りを感じている。
 今現在主にこの2本をメインに持ってきてあーでもないこーでもないしているのだけど、溜まっているもの不足で固まってしまって動かないんだよなあ…… 勢いだけで書くにもその勢いを生むものがない。昨日、ハンデか燃料か、なんて言っていたけれど、本が読めないっていうのはものすごく大きな痛手だと思う。目が活字を追ってくれないんだよなあ…… 難しい。

2015年9月10日木曜日

燃料

 持病はハンディキャップか、それとも燃料か。気鬱の病のようなある種の脳疾患を持っていると、それが理由でいわゆる「普通」のことすら日常的に困難になるのだけれど(なにが普通でなにが普通じゃないのか知らんが)、それすらも燃料として物を書いてこその物書きじゃあないのか、と自分の中の弱い部分が囁いてくるのです。果たしてこれが燃料になるのか、ねえ……、さっぱり定かでないけれど、書き続けているひとはやはり清濁何もかも併せ呑んで糧としているのだろうから、やはりここで言い訳として持病を持ってきてしまうのは違うのだろうな。これ幸いと逃げ口上に乗っかって書けない理由とするのはそれは弱さだろう。ぼくはもう少し自分を追い詰めなければいけないのかもしれない。

2015年9月9日水曜日

NIGHT HEAD

 頭痛持ちである。偏頭痛である。武田真治になりきって「兄さん……、頭が、痛いよ……」である。いや、ドラマは見たことないんだけど。原作も途中まで読んでそれっきりだったなあ、そういえば。電書であるようだったらほしい物リストに突っ込んでおこう。今は、今すぐは、まだ、読めそうにない。
 鎮痛剤が効いてきたので茶化して書けるけれど、当の頭痛の真っ直中だと、とてもじゃあないが遊ぶ余裕などない。そして今日もマインドマップは埋まらない。方向がおかしいのかなあ?取っ付きやすいスタンダードな剣と魔法のファンタジィっぽいのを目指したのだけれど。並行してガチじゃないSF?みたいなのも広げているせいか?並行してるのはそれだけじゃあないけれど。どうしたものかな。

2015年9月8日火曜日

埋まらない

 埋まらない。マインドマップにキャラクターシートを挿入して広げていくようにしてある。これを一日に一度は広げて何かしら書き込んでゆくことを課しているのだけれど、本当に埋まらない。世界と人物の構築を並行してやれば具合がいいとは思うので、このやり方自体は方向性として間違っていないのだろうけれど、自分の中に溜まっているものがないのが決定的に駄目なんだろうな。input不足。何が駄目でどうすれば解決するのか明白でも、それを実行できないもどかしさ。本当にどうしたものか…… 頭を抱えて悩むより行動することのほうが解決に近づくと字面ではわかっていてもそれができてりゃ苦労はしてねぇよと。
(´・ω・`)

2015年9月7日月曜日

ストック

 昨日、やっと掌編カテゴリが誕生したのだけれど、あれの原形はたしか群雛が創刊されてしばらくした頃だったはずなので、書き物のリハビリの末生まれた、というより、お蔵入りになってた原稿が腐ってしまわないうちになんとか体裁を整えた、といった具合で、まだまだまだまだまだリハビリ不足であることに変わりはない。こんなペースで大丈夫なのかな、本当に…… 佐渡島さんが同盟セミナーで仰った「書き続けるだけで凡庸ではない」を心の支えに書き続けるしかないのだろうけれど。

2015年9月6日日曜日

微睡みの狭間

 ごそ……
 
 もそり……
 
 ぼんやりした頭の中をぐにゃぐにゃと動かし、ベッドの上で丸まっていた身体を捩って、薄目を開けて壁にかかっている時計を確認したが、未だ午前三時を数分回ったところだった。
 (またこんな時間かよ。はあ……)
 確かベッドに潜り込んだのは零時過ぎだったはずだが、と相変わらずの眠りの浅さに悪態も吐き尽きたといった様子で、それでもなけなしの抵抗で溜め息を最後に付け加えてみたものの、それで物事が何か好転するというようなことがあるわけもなく、壁の時計の秒針が刻むコチコチという無機質な音しか響かない深とした部屋に気力のない吐息がふっと現れ、消えただけだった。
 「仕方ない、起きてコーヒーでも淹れるか」
 寝間着代わりのティーシャツとハーフパンツのままドリップケトルをコンロにかけてからネルをコーヒーポットに乗せ、生欠伸を噛み殺しながら戸棚からコーヒー豆とハンドミルを取り出して、お湯が沸くのを待つ間、ゴリゴリと豆を挽きつつ、またひとつふたつと欠伸をやり過ごした。
 「そういえばこの豆もそろそろ渋くなってきていたな。早く飲みきって新しい豆を買ってこよう」
 豆は挽き終わったがお湯は未だ沸いていない。
 ふと口寂しさにベランダで煙草でもと思った矢先に、今はもう何度目かわからない禁煙中で手持ちの煙草がないことに気付き、「ちっ」と小さく舌打ちしざまにサンダルをつっかけベランダに出て、早朝というには早過ぎる夜の名残が濃く残ったこの時期にしては涼しい外の空気を煙草の代わりに少し深く吸い込んだ。
 この眠りの浅さには長年悩まされてきているが、未明に目が覚めた時にベランダで吸う空気はそれなりに嫌いでなかったりするのが長く患ってる故の慣れなのか、それとも適応といったほうが意味合いがより合致してくるのか。
 そんな事を考えているうちにケトルがシュウシュウと音を立て始めた。
 全く眠れないわけではない。普通の睡眠が取れる時もある。まあ何が「普通」なのかは個々人の物差しに依るしかないけれども。
 
 「よっす」
 唐突と云う風でもなく、隣のベランダから男が自然体というより寧ろ馴れ馴れしく目覚ましの一杯の手前に水を差す挨拶を送ってきた。名前が思い出せないが、まあいい。
 「おや、お早いお目覚めで」
 さも長く知った仲であるかのような軽い返事を返した。いや、結構長いこと隣にいるよな……、それでも名前を覚えていない。その程度の隣人。ケトルが呼んでいる。
 「いや、俺はこれから寝るところ。おやすみちゃん」
 「そうか。おやすみ」
 お互いほんの数秒といった隣人との邂逅をハンバーガーショップのダストボックスにゴミ屑を捨てるように打ち切って、また静かな朝が戻ってきた。ケトルが呼んでいる。
 
 沸いたお湯でコーヒーをドリップしつつ考えていた。
 (こうしてコーヒーを淹れるという儀式からして今日という日は確かにやって来ている。そして同時刻に彼に訪れるのは昨日の終わりでありしばしの思考シャットダウンの後、数時間経過したところで今度は彼の今日が始まる)
 (地球規模の時差で考えるまでもなくこうしたタイムラグはそれこそさっきのみたいに隣人との間で充分に体感できる。標準時と活動時間のシフトは同じものではないから至極当たり前といえば当たり前のことなのだけれども)
 (地球規模云々は大袈裟だったな。「生活タイムサイクルには個人差があります」で済む話だ)
 (タイムサイクルと言ったがそれはある程度規則正しくルーチンを回している事が前提のことで……って、そういえば名前なんだっけ?隣の。やつはどういうサイクルで日々を過ごしているんだろう?そもそも決まったサイクルがあるのだろうか?)
 顔を覚えて軽口を叩ける程度には長く隣に住んでいて正体不明というのも都会らしい空気の希薄さだな、とまで思索を巡らせたところで少しだけぬるくなったコーヒーに口をつけた。
 (取り留めのない思考ってのも疲れるものだな。こういう思考の無駄な連鎖を断ち切るのに煙草がちょうどよかったんだが)
 またぞろ一服吸い付けたい衝動がもぞりと首をもたげたが無理やりねじ伏せて、またコーヒーを啜る。更に冷めて渋みもまたもっと強く感じた。
 「うーむ……、やっぱり渋いな」
 朝の早いカラスが鳴いている。ゴミ捨て場にでも居るのだろうか。
 (まだ明けるにはずいぶん時間があるぞ。カラスにも体内時計の個体差があったりするのだろうか?それとも住民のゴミ出しの時間を学習したのか……)
 何処に居るのかわからないが、カラスたちは賑やかだ。
 残りひと口になって冷め切った渋いコーヒーを飲み干す。

 これから「今日」が始まる。

 「さてと……」

2015年9月5日土曜日

詰まった

 鬱期に突入してしばらく、なんとか一日一度はマインドマップをさらうことだけは心がけてきたけれど、脳みそが糞詰まり。何も出てこない日が続いて、正直心が折れそうだ。創る際には「こんなの書けるなんて俺ってSUGEEEEEE!!!!」くらいのテンションでやって丁度いい、とかよく聞いたり読んだりするけれど、とてもじゃないがそんな脳内麻薬どばどば状態とはもう2decadesほど縁がない。縁があった記憶もないが。エンドルフィン漬けの脳みそというのを体験してみたいものだな。さぞ気持ち良いものなんだろうなあ…… 鬱期、はやく抜けないかなあ…… 鬱期を抜けたとしても脳みその麻薬漬けとはやはり縁遠いか。うーん……

2015年9月4日金曜日

2ヶ月

 60post目である。我ながら、よくもまあ何も無い日常からひねり出して2ヶ月も続いたものだと思う。何もないことを書けばいい、という設定でやってきているのではあるけれど、そこはやはり何かしら引っかかるものがほんの少しでもなければ、書きようってものがない。書き物のリハビリが目的なのに、ブログネタを探して日常を送るようになっては、本末転倒というものだ。それなら内にこもって本を読む努力をするとかした方がまだマシだ。
 兎に角、当ブログの目的をあらためて心しておく。茶飲み話でもする感覚でいいからものを書く練習をする。茶飲み話っても、実際にその場にいると、聞き役になって自分の話なんかほとんどしないクチなんだけど。

2015年9月3日木曜日

足元

 足元見られてるよなあ、とよく思う。持病の精神疾病の影響で、時間の確約が出来ないことから、ぼくはまず一般的な雇われ職には就けない。ので実家の家業手伝いはその辺りを汲んで雇わないまでも家業手伝いとして小遣い賃を渡してくれている…… と書くとかなり良心的な家族に恵まれているようだけれど、「いてもいなくてもいいなら居なくていい」とか「やる気を見せろ、誠意を見せろ」とか精神的追い詰めを平気でやってくる。ぼくはぼくで無収入は困るから身体の許す限り動いてるんだけど、如何せんポンコツ、動けたり動けなかったりなのはこのブログでも書いている通り。まだ親が代表だから首の皮繋がっているけれど、代替わりしたら遠慮なく切ってくるだろうとは思う。ほぼ間違いない。2代目とは反りが合わないというやつだ。もう十何年と病んでいるけれど、家族の疾病への理解は、まだない。この先もないと思っておいたほうがいいだろうな。ひとは変わらないよ。変わらない。

2015年9月2日水曜日

スリーグッドとか

 その日のうちで良かったことを3つ挙げるんだそうな。ぼくの場合には日じゃなくて週でも危ういぞ。でもまあ悪くないことはひとつ。懐かしさにフォーチュン・クエストをまとめ買いして読んだ。1巻を読み切った。inputの練習としては上出来だ。4日掛かったけど。
 そういえばこれ1巻が平成元年に初版で、今年の8月に新刊が出てるのな。息が長く愛されてる作品だなあ。ぼくにもこれくらい皆に愛される作品がかけたらいいなあ。今から27年も書き続けたとしたらもう爺さんだよ。まあいい。あの隆慶一郎さんは還暦過ぎて小説家になったんだ。何事も遅いということはない。かなり珍しくポジティブに〆。

2015年9月1日火曜日

鬱々

 鬱ネタくらいしか書くことのない日々。思うことをばばばばっとそれこそ書き殴ればそれでいいというハードルの低さに設定しているけれど、その「思うこと」が、ない。物を考えられないのだ。思索を始めようとすると気鬱や無気力が邪魔をする。振り払う力は、今のぼくにはない。悪魔の声が聞こえる。「もう、それ、向いてないんじゃねえの? 土台無理だったんだよ」いい返す言葉もない。縋る光はあまりに頼りない。決して光の途絶えぬことを祈るばかり。