2015年9月6日日曜日

微睡みの狭間

 ごそ……
 
 もそり……
 
 ぼんやりした頭の中をぐにゃぐにゃと動かし、ベッドの上で丸まっていた身体を捩って、薄目を開けて壁にかかっている時計を確認したが、未だ午前三時を数分回ったところだった。
 (またこんな時間かよ。はあ……)
 確かベッドに潜り込んだのは零時過ぎだったはずだが、と相変わらずの眠りの浅さに悪態も吐き尽きたといった様子で、それでもなけなしの抵抗で溜め息を最後に付け加えてみたものの、それで物事が何か好転するというようなことがあるわけもなく、壁の時計の秒針が刻むコチコチという無機質な音しか響かない深とした部屋に気力のない吐息がふっと現れ、消えただけだった。
 「仕方ない、起きてコーヒーでも淹れるか」
 寝間着代わりのティーシャツとハーフパンツのままドリップケトルをコンロにかけてからネルをコーヒーポットに乗せ、生欠伸を噛み殺しながら戸棚からコーヒー豆とハンドミルを取り出して、お湯が沸くのを待つ間、ゴリゴリと豆を挽きつつ、またひとつふたつと欠伸をやり過ごした。
 「そういえばこの豆もそろそろ渋くなってきていたな。早く飲みきって新しい豆を買ってこよう」
 豆は挽き終わったがお湯は未だ沸いていない。
 ふと口寂しさにベランダで煙草でもと思った矢先に、今はもう何度目かわからない禁煙中で手持ちの煙草がないことに気付き、「ちっ」と小さく舌打ちしざまにサンダルをつっかけベランダに出て、早朝というには早過ぎる夜の名残が濃く残ったこの時期にしては涼しい外の空気を煙草の代わりに少し深く吸い込んだ。
 この眠りの浅さには長年悩まされてきているが、未明に目が覚めた時にベランダで吸う空気はそれなりに嫌いでなかったりするのが長く患ってる故の慣れなのか、それとも適応といったほうが意味合いがより合致してくるのか。
 そんな事を考えているうちにケトルがシュウシュウと音を立て始めた。
 全く眠れないわけではない。普通の睡眠が取れる時もある。まあ何が「普通」なのかは個々人の物差しに依るしかないけれども。
 
 「よっす」
 唐突と云う風でもなく、隣のベランダから男が自然体というより寧ろ馴れ馴れしく目覚ましの一杯の手前に水を差す挨拶を送ってきた。名前が思い出せないが、まあいい。
 「おや、お早いお目覚めで」
 さも長く知った仲であるかのような軽い返事を返した。いや、結構長いこと隣にいるよな……、それでも名前を覚えていない。その程度の隣人。ケトルが呼んでいる。
 「いや、俺はこれから寝るところ。おやすみちゃん」
 「そうか。おやすみ」
 お互いほんの数秒といった隣人との邂逅をハンバーガーショップのダストボックスにゴミ屑を捨てるように打ち切って、また静かな朝が戻ってきた。ケトルが呼んでいる。
 
 沸いたお湯でコーヒーをドリップしつつ考えていた。
 (こうしてコーヒーを淹れるという儀式からして今日という日は確かにやって来ている。そして同時刻に彼に訪れるのは昨日の終わりでありしばしの思考シャットダウンの後、数時間経過したところで今度は彼の今日が始まる)
 (地球規模の時差で考えるまでもなくこうしたタイムラグはそれこそさっきのみたいに隣人との間で充分に体感できる。標準時と活動時間のシフトは同じものではないから至極当たり前といえば当たり前のことなのだけれども)
 (地球規模云々は大袈裟だったな。「生活タイムサイクルには個人差があります」で済む話だ)
 (タイムサイクルと言ったがそれはある程度規則正しくルーチンを回している事が前提のことで……って、そういえば名前なんだっけ?隣の。やつはどういうサイクルで日々を過ごしているんだろう?そもそも決まったサイクルがあるのだろうか?)
 顔を覚えて軽口を叩ける程度には長く隣に住んでいて正体不明というのも都会らしい空気の希薄さだな、とまで思索を巡らせたところで少しだけぬるくなったコーヒーに口をつけた。
 (取り留めのない思考ってのも疲れるものだな。こういう思考の無駄な連鎖を断ち切るのに煙草がちょうどよかったんだが)
 またぞろ一服吸い付けたい衝動がもぞりと首をもたげたが無理やりねじ伏せて、またコーヒーを啜る。更に冷めて渋みもまたもっと強く感じた。
 「うーむ……、やっぱり渋いな」
 朝の早いカラスが鳴いている。ゴミ捨て場にでも居るのだろうか。
 (まだ明けるにはずいぶん時間があるぞ。カラスにも体内時計の個体差があったりするのだろうか?それとも住民のゴミ出しの時間を学習したのか……)
 何処に居るのかわからないが、カラスたちは賑やかだ。
 残りひと口になって冷め切った渋いコーヒーを飲み干す。

 これから「今日」が始まる。

 「さてと……」