2015年9月21日月曜日

有無

 創作ってのは無から有を生みだすのでなくて、100の有を1の有に置き換えることだ云々、というのを以前どこかで見かけて「なるほどなあ」と思った次第。ゼロから1を生みだすのでなく、100のinputを1のoutputにするとかなんとか。それを思うに、ぼくは全然inputが足りていない。毎度思うことではあるけれど、受け止める器がぼろぼろでは如何ともし難い。なんとかもう少し、心身レベルとは言わずとも、機械的な作動でいいから、どうにか活字を追うことができるようになりたい。リハビリがリハビリにならない。活字の毒っていうのもあるのはそれはそれで本当だろうけれど、毒になるほど拾っていないし、実際input量が多かった頃のほうが圧倒的に生産性は高かったから。しかし何をどうしたら目が活字を拾えるようになるのか、具体的な方法がわからないのはどうしたものか。時薬っていうのはもう選択肢から外したほうが良さそうだけれど。