2015年10月14日水曜日

方向と大きさ

 心持ちのベクトルというか。「一念岩をも通す」とか「精神一到何事か成らざらん」とかそういうたぐいの言葉の根底にあることで、言わんとすることはそういうことだよな、と。いくら大きさが優れていても方向が定まっていないと結局和とした時にその大きさが活きてこない。時間軸を加味するとまたこれは違ってくるだろうけれど。というか時間軸を加味したうえでの故事成語なのか。とすればベクトルの絶対値が小さくても方向さえ定まっていればそれは時間をかけさえすれば和として大きな力になるということか。では自分の心のありようは一体どうであろう。それは「一念」であるか?「精神一到」であるか?問うてもなかなか自信を持って是と言えないところにぼくの弱さがあるように思う。その弱さを補う「継続は力」であってほしいというのは力ない故の傲慢さか。なんにせよ文章を綴るちからというものを得るためにはとにかく書き続けるしかない。といって無闇矢鱈に書けばいいものでもないだろうからその辺りはtips集なんかでうまくフォローするのが最善なのだろう。
 未だうまく言葉のフラグメントが衝突してくれない。それこそ時間をかけてじっくり相手にしなければならないことなのだろう。焦らず、継続あるのみ、だ。