2015年10月16日金曜日

生きるってたいへんだ

 たいへんだよね。(´・ω・`)

2015年10月15日木曜日

基本というか

 必須事項という意味も込めて。毎日何かしらひとことふたことをネタにリハビリと称して文章を綴ることをしているのだけれど、これはギターで言えばスケール練習みたいに楽曲云々の前に最低限できなくては話にならないことだと思っている。それを踏まえるとリハビリというタグの呼称は少し的を外しているような気もする。スケール練習はリハビリの手段ではあるだろうけれど目的にはならない。同様にこの駄文綴りも文章を練る前の基礎練習であって文章を練ること自体の練習とはいえない。やはり曲を弾く練習をするのはスケール練習をするのとは違うように、文章を練る練習は文章を実際に練って練習するしかない。そういう意味で今更ではあるけれどリハビリタグというのはちょっと違うよな、と思ったりする。本当に文章の練習をしているのなら、今あるタグでは、掌編カテゴリがもっと数を増やしていかなければいけないはずなんだ。あらためて自分のしていることの矮小さに消え入りたくなってくる。それでも「しないよりはマシ」ということでこうやって恥を晒している。スケール練習は出来て当たり前していて当たり前なことであって、それがある前提で「さあ楽曲練習をしよう」となるのだ。そのスケール練習をドヤ顔で「リハビリしています」というのはかなり恥ずかしいが、他によいタグ名が浮かばないので小さくなってこっそりとこうやってwebの端っこで今日も駄文を綴っている。

2015年10月14日水曜日

方向と大きさ

 心持ちのベクトルというか。「一念岩をも通す」とか「精神一到何事か成らざらん」とかそういうたぐいの言葉の根底にあることで、言わんとすることはそういうことだよな、と。いくら大きさが優れていても方向が定まっていないと結局和とした時にその大きさが活きてこない。時間軸を加味するとまたこれは違ってくるだろうけれど。というか時間軸を加味したうえでの故事成語なのか。とすればベクトルの絶対値が小さくても方向さえ定まっていればそれは時間をかけさえすれば和として大きな力になるということか。では自分の心のありようは一体どうであろう。それは「一念」であるか?「精神一到」であるか?問うてもなかなか自信を持って是と言えないところにぼくの弱さがあるように思う。その弱さを補う「継続は力」であってほしいというのは力ない故の傲慢さか。なんにせよ文章を綴るちからというものを得るためにはとにかく書き続けるしかない。といって無闇矢鱈に書けばいいものでもないだろうからその辺りはtips集なんかでうまくフォローするのが最善なのだろう。
 未だうまく言葉のフラグメントが衝突してくれない。それこそ時間をかけてじっくり相手にしなければならないことなのだろう。焦らず、継続あるのみ、だ。

2015年10月13日火曜日

覚醒と混濁

 今朝というか昨夜遅くからなかなか入眠できず、仕方なしにコーヒーで目覚まししたのだけど、その際、意識が覚醒していながら思考が混濁するといった状態に。これが日中しばらく続いた。意識ははっきりしているけれど、何をするのか行動に繋がる意思を含め能動性のアウトプット全般がぐしゃぐしゃとミキサーで砕いてしまったように形をなさなかった。つまるところ「目は覚めているけれどなにもできない」という表向きいつもの今日だったのだけど中身の方は非常に気持ち悪いアンバランスさに晒されていた。これも一生懸命言葉にしようとしてこう表すに至ったのであって、コーヒーを飲むと最近は割りと頻繁になる症状だったりする。症状という言葉は大袈裟か。といってカフェインは半ば依存状態にあるのでここで積極的に断つ方向に舵切りするかというとそうはいかないだろう。思考が混濁しようとぼくにとっては精神的に落ち着くという安定剤のようなものでもあるから。

 うん、回りくどくてねちっこい文章が綴れた。これは、リハビリとして悪くないんじゃないかな。とにかく継続あるのみだ。

2015年10月12日月曜日

渦

 無思考の渦に飲み込まれている。思考の母体となる幹の部分に言葉が埋まってゆかない。木のうろのようにぽっかりと空いたまま何もそこにはなく、本来ぶつかり合い反応を起こす言葉のフラグメントが雲散霧消している状態。やっぱりまた鬱期がきたのかなあ……。大きいのは先月に抜けたと思ったんだけどまだぞろ別なところから(別か同じかわからないけれど)波が来たのかなあ……。こんなことなら先日の通院日に抗鬱薬を処方してもらえばよかったかもしれない。もう憶測でしか物事を言えない状態。プロットに取り掛かれるのは抗うつ薬の処方がされてからになるんだろうか。クスリ頼みっていうところがなんとも厭な感じだけれど、それで無思考の渦から逃れられるのなら頼ってもいいんではなかろうか。いいことにしてくれ。それまでどうやってリハビリのネタをひねり出そう……。どうしたものかなあ。

2015年10月11日日曜日

ことばが

 出ない。頭の中にすらなにも浮かんでこない感じだ。自発的な意思を持てないというか。かろうじてこうやって「何も無い現状」をタイプ出来ているが、それもやはりかろうじてであって、日々の惰性がなかったら日課にしたこのリハビリも投げ出してしまいたいところだ。投げ出したところで困るのは自分だけだから、という悪魔の声が聞こえる。活字スリップも相変わらずひどい。自分で打ち込んだ文字ですら追うのがやっとの状態だ。いっときは活字密度の薄いラノベが読める程度までには復調していたのだけれどな。相変わらずといえば頭に響く怒声も続いている。これは途切れるほうが稀ではあるのだけれど、それでも慣れるとかそういう範疇のシロモノではとてもない。檻の向こうから罵詈雑言を常に投げつけられ続けながら正気を保つのも難儀なことだ。正気でいることの証明など誰も出来ないのだけれど。というか、正気であることが出来ない故に病んだのか。病んだから正気を失ったのか。考えても詮無いことではあるけれど。

2015年10月10日土曜日

怒声、罵声

 目の奥の方の重石が音を伴うようになって、それがだんだんといつもの聞こえないけど聞こえる怒声、罵声に変わってきた。こうなると聞こえていないけれどうるさい声にげんなりしてしまう。声の輪郭がはっきりしないところも嫌らしい。悪意のある言葉を自分に向けて浴びせられていると感じるのだけれど、その悪意の本位が何処にあるのかわからない。幻聴に本位などあるはずがないから当然のことだろうけれど、芯の掴めない悪意のようなものってとても気持ち悪い。芯が掴めたからって悪意が気分のいいものであるはずもないだろうけれど、それでもなにも掴ませないところにねちっこいいやらしさのようなものを感ずる。この怒声はほんとうになにをするにも邪魔ばかりしてなにも手につかなくなるから嫌だ。目が文字を追うたびにスリップしてしまったり言葉の意味が頭の中でこなれなくなったり。およそ生産性とは真逆の方向にベクトルを持つ声だ。次の通院日に抗鬱薬を再び処方してもらう際に、今のリスペリドンを減薬することになったのだけど大丈夫だろうか。現状、あまりリスペリドンが効いているとも実感できないのは確かなのだけれど。