2015年10月15日木曜日

基本というか

 必須事項という意味も込めて。毎日何かしらひとことふたことをネタにリハビリと称して文章を綴ることをしているのだけれど、これはギターで言えばスケール練習みたいに楽曲云々の前に最低限できなくては話にならないことだと思っている。それを踏まえるとリハビリというタグの呼称は少し的を外しているような気もする。スケール練習はリハビリの手段ではあるだろうけれど目的にはならない。同様にこの駄文綴りも文章を練る前の基礎練習であって文章を練ること自体の練習とはいえない。やはり曲を弾く練習をするのはスケール練習をするのとは違うように、文章を練る練習は文章を実際に練って練習するしかない。そういう意味で今更ではあるけれどリハビリタグというのはちょっと違うよな、と思ったりする。本当に文章の練習をしているのなら、今あるタグでは、掌編カテゴリがもっと数を増やしていかなければいけないはずなんだ。あらためて自分のしていることの矮小さに消え入りたくなってくる。それでも「しないよりはマシ」ということでこうやって恥を晒している。スケール練習は出来て当たり前していて当たり前なことであって、それがある前提で「さあ楽曲練習をしよう」となるのだ。そのスケール練習をドヤ顔で「リハビリしています」というのはかなり恥ずかしいが、他によいタグ名が浮かばないので小さくなってこっそりとこうやってwebの端っこで今日も駄文を綴っている。