2015年10月29日木曜日

消化

 なかなか活字スリップ状態から復調せず、紙の本も電書も積ん読がたまる一方で消化できずにいる。漫画のセリフですらスリップするんだよね。たまる一方なのは今に始まったことではないけれど、少しでも消化できないというのは結構心情的にしんどい。自分のタイプしてる文面ですらスリップしてしまうのはプロット作成にも障害を及ぼしてしまい、ほんとうに厄介極まりない。そんなこんなでスマホのメモ帳にキーワードになりそうな単語だけがただただ無秩序に溜まってゆくといった按配でこれも整理しなければいけないのだけれどなかなか進まない。
 ところでこの活字スリップっていうのは精神的なものから来るのだろうか。それとも身体的な症状なのだろうか。いままでは精神的に不安定だから、と勝手に思っていたのだけれど、そうともばかり言えないように最近感じるようになった。要は集中力の欠如に集約されてしまうのだろうけれど、それって視覚情報の処理落ちが発生してるということでもあるわけだ。とすると常服している薬の副作用も考えられる。薬は手放す訳にはいかないからどうにかこの状態で集中力を高めて消化・創作に行動値のリソースをより多く回していきたいけれど、いったいどうしたらいいのか具体的に案が浮かばないでいる。無理を押す、しかないのかなあ?

2015年10月26日月曜日

ハードルを下げる

 自分にできることは(心身ともに)それほど多くないということを踏まえると、やはり何か行動を起こす時の目標となるハードルを下げるのが効果があるのではないかと思う。でもどうせ下げるのなら徹底的に下げてしまおう。
 今日できたこと
・ネット配信アニメを2話消化した。外的刺激に鈍麻な反応しかできない現状では、能動的な行動に移すことが出来ない中、これは結構頑張ったほうだと思う。良いか悪いかで言えばそこそこ良い方ではなかろうか。
・故障したプリメインアンプを保証期間中ということで無償修理に出す取り付けと修理センターに送るための梱包をした。先に述べた通り、能動的行動がなかなか難しいので、ただそこに流れる音楽というのはぼくにとってとてもかけがえの無い受動的刺激なので、オーディオ無しの生活はかなりつらい。修理期間が10~14営業日というのは2週間から3週間ということか…… ながいな。かなりながい。修理が早く終わることを切に願う。

 マインドマップは相変わらず広げども埋まらずと言った按配で進展がない。大きくメスをいれるときなのかもしれない。ちょっと考えておこう。

2015年10月25日日曜日

意識して休むということ

 意図的に1周間ばかり更新を休んでみた。立ち止まることで見えてくるものもある。今までの自分は気負いすぎていた。気を張り過ぎていた。ガソリンもないのにアクセルをベタ踏みして「進まない!」と嘆いていた。このリハビリブログもそう。「毎日更新しなきゃ!」っていう焦りだけが先行して「考えること」に行動リソースが回っていなかった。ゲームでよくある行動値ってよくできてるなあ、と最近とみに思う。上限が決まっていて使い果たすとその日の行動は全て終了。実生活でも同じようなもので、行動量が現在のキャパを超えるとそこでストップ。動けなくなる。実際に動けなくなる経験をしたことのない人のほうが多いかもしれないけれど、これは本当だよ。まあある程度オーバーリミットで行動できてしまうひとも少なからずいるのだろうけれど、これは確実に身体を壊す。無理を押す必要性にかられる時もあることを否定はしないが、基本、無理というのは恒常的にするものではない。
 御託が長すぎた。そんなわけで、これからは「何かしら毎日更新」ではなくて、「書きたいことがあったら書く。無理はしない」にシフトします。といってもおそらく愚痴っぽい何かになるんだろうけれどね苦笑。たもれこうまれ今後とも宜しくお願いします。

2015年10月18日日曜日

何か

 何かが決定的に足りない。何かが決定的に違う。それは何だ? 違和感とかそういうふうなものを感じてはいるのだけれど、それが何であるかがわからない。ぼくには基本的な何かが足りていない。ぼくのしていることは基本的に何かが方向を違えている。そこまではわかるのだけれど、知りたいのはその先だ。一生懸命に足掻いているつもりだけれど、足掻き方を間違っていちゃあどうにもならん。足りないのは何だ? 基本的な生活基盤か? たしかにそれは実際に足りていないけれど、足りていないからこその飢餓欲求というものもあるだろう。「見る前に跳べ」というが足元が固まっていてこその跳躍だということなのか? ひたすらに自問し続けているけれど一向に答の影すら見えてこない。本質的に答の出ない問なのだろうか。

2015年10月17日土曜日

2015年10月16日金曜日

生きるってたいへんだ

 たいへんだよね。(´・ω・`)

2015年10月15日木曜日

基本というか

 必須事項という意味も込めて。毎日何かしらひとことふたことをネタにリハビリと称して文章を綴ることをしているのだけれど、これはギターで言えばスケール練習みたいに楽曲云々の前に最低限できなくては話にならないことだと思っている。それを踏まえるとリハビリというタグの呼称は少し的を外しているような気もする。スケール練習はリハビリの手段ではあるだろうけれど目的にはならない。同様にこの駄文綴りも文章を練る前の基礎練習であって文章を練ること自体の練習とはいえない。やはり曲を弾く練習をするのはスケール練習をするのとは違うように、文章を練る練習は文章を実際に練って練習するしかない。そういう意味で今更ではあるけれどリハビリタグというのはちょっと違うよな、と思ったりする。本当に文章の練習をしているのなら、今あるタグでは、掌編カテゴリがもっと数を増やしていかなければいけないはずなんだ。あらためて自分のしていることの矮小さに消え入りたくなってくる。それでも「しないよりはマシ」ということでこうやって恥を晒している。スケール練習は出来て当たり前していて当たり前なことであって、それがある前提で「さあ楽曲練習をしよう」となるのだ。そのスケール練習をドヤ顔で「リハビリしています」というのはかなり恥ずかしいが、他によいタグ名が浮かばないので小さくなってこっそりとこうやってwebの端っこで今日も駄文を綴っている。

2015年10月14日水曜日

方向と大きさ

 心持ちのベクトルというか。「一念岩をも通す」とか「精神一到何事か成らざらん」とかそういうたぐいの言葉の根底にあることで、言わんとすることはそういうことだよな、と。いくら大きさが優れていても方向が定まっていないと結局和とした時にその大きさが活きてこない。時間軸を加味するとまたこれは違ってくるだろうけれど。というか時間軸を加味したうえでの故事成語なのか。とすればベクトルの絶対値が小さくても方向さえ定まっていればそれは時間をかけさえすれば和として大きな力になるということか。では自分の心のありようは一体どうであろう。それは「一念」であるか?「精神一到」であるか?問うてもなかなか自信を持って是と言えないところにぼくの弱さがあるように思う。その弱さを補う「継続は力」であってほしいというのは力ない故の傲慢さか。なんにせよ文章を綴るちからというものを得るためにはとにかく書き続けるしかない。といって無闇矢鱈に書けばいいものでもないだろうからその辺りはtips集なんかでうまくフォローするのが最善なのだろう。
 未だうまく言葉のフラグメントが衝突してくれない。それこそ時間をかけてじっくり相手にしなければならないことなのだろう。焦らず、継続あるのみ、だ。

2015年10月13日火曜日

覚醒と混濁

 今朝というか昨夜遅くからなかなか入眠できず、仕方なしにコーヒーで目覚まししたのだけど、その際、意識が覚醒していながら思考が混濁するといった状態に。これが日中しばらく続いた。意識ははっきりしているけれど、何をするのか行動に繋がる意思を含め能動性のアウトプット全般がぐしゃぐしゃとミキサーで砕いてしまったように形をなさなかった。つまるところ「目は覚めているけれどなにもできない」という表向きいつもの今日だったのだけど中身の方は非常に気持ち悪いアンバランスさに晒されていた。これも一生懸命言葉にしようとしてこう表すに至ったのであって、コーヒーを飲むと最近は割りと頻繁になる症状だったりする。症状という言葉は大袈裟か。といってカフェインは半ば依存状態にあるのでここで積極的に断つ方向に舵切りするかというとそうはいかないだろう。思考が混濁しようとぼくにとっては精神的に落ち着くという安定剤のようなものでもあるから。

 うん、回りくどくてねちっこい文章が綴れた。これは、リハビリとして悪くないんじゃないかな。とにかく継続あるのみだ。

2015年10月12日月曜日

 無思考の渦に飲み込まれている。思考の母体となる幹の部分に言葉が埋まってゆかない。木のうろのようにぽっかりと空いたまま何もそこにはなく、本来ぶつかり合い反応を起こす言葉のフラグメントが雲散霧消している状態。やっぱりまた鬱期がきたのかなあ……。大きいのは先月に抜けたと思ったんだけどまだぞろ別なところから(別か同じかわからないけれど)波が来たのかなあ……。こんなことなら先日の通院日に抗鬱薬を処方してもらえばよかったかもしれない。もう憶測でしか物事を言えない状態。プロットに取り掛かれるのは抗うつ薬の処方がされてからになるんだろうか。クスリ頼みっていうところがなんとも厭な感じだけれど、それで無思考の渦から逃れられるのなら頼ってもいいんではなかろうか。いいことにしてくれ。それまでどうやってリハビリのネタをひねり出そう……。どうしたものかなあ。

2015年10月11日日曜日

ことばが

 出ない。頭の中にすらなにも浮かんでこない感じだ。自発的な意思を持てないというか。かろうじてこうやって「何も無い現状」をタイプ出来ているが、それもやはりかろうじてであって、日々の惰性がなかったら日課にしたこのリハビリも投げ出してしまいたいところだ。投げ出したところで困るのは自分だけだから、という悪魔の声が聞こえる。活字スリップも相変わらずひどい。自分で打ち込んだ文字ですら追うのがやっとの状態だ。いっときは活字密度の薄いラノベが読める程度までには復調していたのだけれどな。相変わらずといえば頭に響く怒声も続いている。これは途切れるほうが稀ではあるのだけれど、それでも慣れるとかそういう範疇のシロモノではとてもない。檻の向こうから罵詈雑言を常に投げつけられ続けながら正気を保つのも難儀なことだ。正気でいることの証明など誰も出来ないのだけれど。というか、正気であることが出来ない故に病んだのか。病んだから正気を失ったのか。考えても詮無いことではあるけれど。

2015年10月10日土曜日

怒声、罵声

 目の奥の方の重石が音を伴うようになって、それがだんだんといつもの聞こえないけど聞こえる怒声、罵声に変わってきた。こうなると聞こえていないけれどうるさい声にげんなりしてしまう。声の輪郭がはっきりしないところも嫌らしい。悪意のある言葉を自分に向けて浴びせられていると感じるのだけれど、その悪意の本位が何処にあるのかわからない。幻聴に本位などあるはずがないから当然のことだろうけれど、芯の掴めない悪意のようなものってとても気持ち悪い。芯が掴めたからって悪意が気分のいいものであるはずもないだろうけれど、それでもなにも掴ませないところにねちっこいいやらしさのようなものを感ずる。この怒声はほんとうになにをするにも邪魔ばかりしてなにも手につかなくなるから嫌だ。目が文字を追うたびにスリップしてしまったり言葉の意味が頭の中でこなれなくなったり。およそ生産性とは真逆の方向にベクトルを持つ声だ。次の通院日に抗鬱薬を再び処方してもらう際に、今のリスペリドンを減薬することになったのだけど大丈夫だろうか。現状、あまりリスペリドンが効いているとも実感できないのは確かなのだけれど。

2015年10月9日金曜日

「サーバーから

 オプションを読み込めませんでした」と今回はちゃんとエラー内容を吐いたけどだからどうなんだっていうBloggerの不安定問題。サーバー側の問題なの?まあいいや。
 原稿進んでいません。原稿っていうかプレプレプレプロットくらいのところにも達してない。頭が鈍く痛む。リハビリなんて言いながら不平不満と愚痴ばかりだな。どうにもダメだ。でもだらだらでもいいから、続けてある程度の長い文章を綴るという練習にはなっていると思いたい。いや、だらだらとすら書けていないな。乾いた雑巾を無理矢理絞っているような感じだ。目の奥の方にずしりと重いものを感じる。眼の奥、頭の中、だけでなく心のなかにも重石を抱えているかのようだ。こんなネガティブな言葉ばかり綴られていては読む方もげんなりして去ってゆくよな。といってやめるわけにもいかず、どうにか改める方向に舵を切ろうと心がけるくらいしか出来ない。厭な文章でお目汚しご勘弁ください。

2015年10月8日木曜日

やはりよろしくない

 今日は通院日で担当医にアッパーの頓服の件を相談したのだけど、そういうシロモノはないそうだ。代わりに抗鬱剤を処方されることになった。たしかに頓服はほんのりと効くような気がする程度の抗不安剤しかないからなあ。処方は薬の在庫が切れる次回通院日からとなった。どうなることやら。
 処方の具合がこんな調子だからかわからんが、頭の中のフラグメントも全然反応してくれない。ただ呆けて時間をつぶすばかりでなんの生産性もない。焦りばかりが生まれる。焦ったところで何ができるというわけでもないのに。できることといえば身体を休ませることくらいなのだけれど、睡眠障害でまともな睡眠はあまり期待できないし。ほんとうにポンコツだな、ぼくの身体は。ポンコツついでに一口くちをつけただけのミネストローネが胃に重い。ダメなことだけは次から次へと出てくる。
 ダメなことといえばBloggerの投稿入力画面にいっぱつで遷移できない症状がずっと続いている。リロードすれば移れるんだけどクッキーとかの問題なんだろうか。もう4年ほどひとこと日記をつけてるfc2だと画面移動が重たいことはあるけれどリロードが必要なことは今のところないなあ。これもひどいようだったら対策を検索してみよう。今はそこまで必死になる気力もわかない。

2015年10月7日水曜日

よろしくない

 大きな鬱期が去って、群雛への投稿レギュレーションもクリア(当ブログで推定累計3万字突破)して、あとは原稿を書き進めるだけだというのに、頭の中が空っぽだ。昨日書いた軽い方向へのスリップ状態が続いている。なにもできず呆けている、というのがわかりやすい表現か。好きでボケてるわけではないのは勿論のことだが。なんというか、心のなかを空白で塗りつぶされているような感覚とでもいうか、うーん、なんともこういう感覚疾患の表現は伝えるのが難しい。こういうときには沈んだ気持ちをなだめるダウナーの頓服でなく、沈んだ気分を持ち上げるアッパーの頓服が欲しくなる。明日は通院日なので担当医に相談してみよう。というか、あるのかな……、アッパーの頓服なんて。
 原稿の話。掌編の素になる可能性のある言葉の断片集はあるにはあるのだけれど、断片化しすぎてしまっていることと、先の脳の軽い方向へのスリップでフラグメント同士のつながりが全く生じない。文章の始まりはぼくの中では言の葉どうしがぶつかり合った時に生まれてくるという感覚なので(こんな駄文ブログの文章でもそうである)、そこの反応をどうにか起こす起爆剤みたいなものが必要なのかもしれない。しかし外部からの反応を欲求として欲しない精神状態なので、やはりここはアッパーの頓服に縋るしかないのか。クスリだのみというのは非常に厭なのだけれど。

2015年10月6日火曜日

あいこん

 原稿頑張ると言っていた昨日の今日であたまが軽い方へスリップして何も考えられない状態に。重い方へのスリップは深刻さが出て気を遣ってもらえたりするけれど、軽い方へのスリップは軽薄にとられてしまい、問題が解決しないという現実は一緒であるのに侮蔑の目にさらされる不公平さ。そういうやじろべえみたいな右へ左へを繰り返す疾病なんだと言っても理解しないひとは理解しないので捨て置くしか無い。身内にいるけど。
 たもれそんな状態だったので午前中はドヤ顔猫アイコンを手描きのアイコンに差し替えて気分転換。アイコンひとつ描くのだけで精一杯だった。午後は頭を抱えて寝込んでいた。溜めた映画でも観れば、っていうのは禁句。それができれば本だって読めているし、積ん読タワーなんてなにもないことになる。溜めアニメもまっさらに消化してしまっているだろう。「ハイだろうがローだろうが何も出来ない状態」っていうことがどういうことか、理解するには身を持って知るしかないのだろうな。苦しいぞ。頭の中の誰かに殺されそうになる。
 まあ言い訳めいたことを喚き散らしたところで生産性のかけらもないので、次の通院日にダウナーでなくてアッパーの頓服がほしいと伝えることにしよう。出してもらえるかな……。

2015年10月5日月曜日

GunSu

 このブログで、書けない、書けない、読めない、書けない、と繰り返していたのはセルフパブリッシュ用原稿のこと。将来的に一冊の本としての体をなすだけのバックボーンづくりに、ああでもないこうでもないとない知恵を絞り頭をかきむしっていた。いる。今っもまさにその只中だ。しかしそんな中、さらに並行してインディーズマガジンの群雛に投稿するための原稿も書き始めようと思う。手を広げすぎれば失敗するのかといえば、それはたぶんちょっと違うんじゃないかと考えている。一つのことに集中するのもスタイルとして大事なことかも知れなけれど、詰まった時に逃げ場がない。幸い、締め切りのないインディーズ作家(群雛には締め切りがちゃんとあるけれど)、手が動かなくなったら別のことに手を出して切っ先を切り替えるのも手なのではないかと思っている。手元にはFreeMindに落とすまでもなかった言葉の切れ端がプレーンテキストとして幾許か生き残っている。これを利用して掌編枠……、できれば標準枠で参加したい。ともあれ投稿するには元の原稿だ。少しマインドマップの方の手綱を緩めて、ここからさきしばらく、群雛用原稿を第一に持ってこようと思う。鬱は相変わらず心に重い影を落として、あまりうまく身動きが取れなけれども、がんばる。うん、がんばる。

2015年10月4日日曜日

違和感

 「ナニカチガウ」「コウイウノジャナイ」「ベツナコタエガアル」書いては消し、書いては消し、書いては消し……。みんなどこで折り合いをつけているのだろう。ただの書き出しの一文でさえまともに書けやしない。駈け出してもいないひよっこですらないやつに完璧さなんて求められていないのはわかっているけれど、それでもより良いものを目指すのは悪いことなのだろうか? 完成させることが経験値、と散々言われ続けているけれど、散々目にしているけれど、もう一本、もう一本の迷い線を引くことをやめられずにいる。たぶん、ぼくに足りないのは「こんな文章が書けるなんておれってSUGEEEEEE!!!!」のハイテンションではなかろうか。言い換えれば、「自分に酔うこと」 そういえば誰かが言ってたっけ。「素面で詩なんか書けるかよ!」 基本の状態が自分のことが嫌いな鬱なぼくにほんとうに物書きができるのだろうか。ハナから自信なんてものとは縁遠かったけれど、最近になって、物書きのHow Toを読むようになって、ますます自信とは距離が広がっていくように感じてしまう。大きな鬱期は抜けたと少し前に書いたけれど、やはり基本メンタルが鬱傾向なんだよな。こんなぼくで本当に大丈夫なのだろうか。

2015年10月3日土曜日

号泣 五十三次

 心のなかで号泣しながら吹き飛んだ累計2万字あまりのプロットの復旧作業に追われている。にーにーとさんさんひゅーまん。記憶しきれないから書き留めておくわけで、その書き留めが吹き飛んだらそりゃ暴力フォーエヴァーてもんだ。アプリケーションとして最低の要素を満たしていない。メモ帳にメモが消えるバグがあったらそれはメモ帳とは呼べないだろう。心が粉々に砕け散りそうなのをなんとか「まあ駄作だったし!」の自虐の呪文でつなぎとめているという現状。でも正直なところ本当に泣きたい。書いては消しの激遅筆だからこそ、ここまで書き溜めるのにどれだけ掛かったか。
 まあこぼれたミルクを嘆いてもしかたがないので、またはじめからぽちぽちとひとつひとつ打ち込んでいくしかない。嗚呼。

2015年10月2日金曜日

あははははははは

 マインドマップにちまちま書きためてきたプロット累計約2万字が飛んだよ!!FxxkOff FreeMind!!直感的に使いやすくても不可逆な文字化けおこすんじゃダメだダメだダメだ!!仕方なくFrieveEditorに移行措置。XMindもFreeMindの.mmファイルがインポートできるというので試してみたが「ファイルが開けません」だと。Fxxk!!というかインポート以前にコメント欄をマップと同時に開けない時点でアウト。FrieveEditorはマップがぐにゃぐにゃ動いて気持ち悪いけれど慣れればなんとか使えそうな気がするので。マップ画面とコメント欄を同時に表示できるし。これ重要。マップにキャラクターシートやら世界観概要やら書き込むからいちいち切り替えるやつだと手間がかかりすぎてしまうんだよね。そんなわけでこれから暫くの間はマップの書き直しに費やされることになる。考えただけでぐったりだ。
 それと、マップ関連で相談にのってもらううちに神楽坂らせんさんにテキストエディタで秀丸をおすすめされたのでVerticalEditorから乗り換えようかな、と。4320円はちょっと高い気がするけれどそれ相応の価値があっておすすめされたわけだし、ずっと使う(予定)のものだし、いいか、ということで。
 しかしマップのコメント文字化け、ショックだ……

2015年10月1日木曜日

鬱期

 大きな鬱期は先週の連休中に抜けたようだけれど、まだまだ小さな心を刺すような抑うつ感や、背後からのしかかってくる大きな不安感の壁は健在で、今日もまた効かない頓服を飲み込んでなんとか耐えたといった按配だ。なかでも不安感、虚無感とも言えるかもしれない。それはいまやっていること、やろうと心に誓ったことを平気で踏み潰しにかかってくる。抗うすべはなく、効いてるのか効いていないのかよくわからない薬を流し込んで丸くうずくまりただそれらが去るのを待つしかない。「そんなことしても無駄だよ」「本気で物語がかけるとでも思っているわけ?笑止!」「一度でも真剣に物事に取り組んだことあるの?」etc.頭の中の住人たちが侮蔑の言葉を投げつけてくる。住人たち、と三人称で書いてはいるが、実質のところ自分の心の弱さの鏡でしかないのだよな。その弱さをことさらに突きつけてくることがつらい。つらい。